2005年09月04日

【武】とある流儀の錬成会 3

今日は一日さいたまで武術の稽古をしていた。
今膝と肩を壊して修理中なので袴の付け方を忘れるほどに久々だった。

アレコレやって、久々でもそれなりには出来てそれ以上には出来ない。
まぁそれはいいんだけど、
やはり多人数を同時に教えるって難しいことだなぁと思う。

100人ほど。
ひとつの技を師匠がやってみせる。
何人か居る中間指導者が直して回る。
時間が来る。出来ない人は諦めるか勘違いするかどちらかで終わる。

できるまで付き合うべきなんだよなぁ、本当は。

でもって段階を明確に分けて「できるようにする」べきだと思う。

多くの武術は「居着く」ことを嫌う。それは日本も中国も変わらない。
日本武術は「居着く」ことの否定から指導が始まるように思える。
中国武術は「まずキッチリと居着く」ことができるか、から始めて
それからそれを否定していく。「定・活・変」という。
日本武術には「定」段階が無い、あるいは「活・変」との連続性がない。

これに限らず、全ての技術にはレベル、段階が有ると思う。

今回、ワザの外形は同じでも
師匠のワザは崩しの理合い(レベル3)とすると
師範代のワザは中心取りの理合い(レベル2)、
そして一般会員が出来てる方でも手足の協調(レベル1)、
否定されている動きが腕力と動きの勢い(レベル0)
という感じで、区別して丁寧に指導されないし
習ってる方も吸収する直向きさに欠けていた気がした。

丁寧にやったから伝わるって訳でもなくて
教える方と習う方の意欲や情熱、身体と頭脳、感覚など
いろんなものがシンクロしないと伝わらないものだから余計に難しいのだけど。

20年以上教わったり教えたりという立場に身を置いてきて
この難しさは一生ついて回るのだろうなとは思う。



杖道入門―全日本剣道連盟「杖道」写真解説書


ruminn_master at 2005年09月04日 17:00 【武】とある流儀の錬成会コメント(0)トラックバック(0)  このエントリーをはてなブックマークに追加


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