2005年10月30日

【武】上野の森でまた練習 3

先週に続いて上野公園で稽古会。

休日の早稲田大学はロックアウトで練習できないし
中国拳法は靴を履いてやるからスポーツセンターとかの武道場ではできないので
大体公園でやることになる。新宿の戸山公園、ここ上野公園など。
まぁ「地面さえ出来れば練習出来る」のが武術の良いところだ。
貧乏人にもフレンドリー。

印象的な武闘派ジジィも居たし
気になった店も有ったりと
上野の街は雑然としてて個人的に性に合ってる感じだ。

今の学生は「ていねいな練習」が苦手だ。
自分以外のことについて雑な奴が多い。

古武術とは「正しさ」とか「正確さ」が不可欠だ。
戦いの中で相手の体勢が崩れる。
それでも自分は崩れない。
どんな動作の中でも常に力学的バランスが取れている状態。
そういう「正しさ」を身に付けるために
本来は型稽古が中心なのだけど
今の学生はそういう「こだわり」を持てない。

「自分なり」に「カッコイイ」かどうかへの「こだわり」なら
何時間でもやっていそうだが、「正しさ」には意識が向かない感じだ。

武術なんて
下手すると一生「そんなんじゃダメだ」と上から言われ続けて、
それでも頑張ってるようなものだと思う。

人からの賞賛を求めるものじゃない。
こういうところがダンスとかとは本質的に異なる。

楽しさはもう少しヤヤコシイ部分にあるような気がする。

とはいえ武術は所詮は戦闘技術。
相手あってのもの。
対人練習もまた不可欠だ。

試行錯誤は一度だけじゃ意味がない。
何度でも繰り返す、考える、また試す、そういうことの反復。
ここでもやはり「こだわり」が不可欠。

武術は一般に執着を嫌う。
「居着く」と言うのは否定語だ。
しかしそれはここでいう文脈ではない。

守・破・離

最初に大事なのは意識的な「こだわり」であり
それを打ち破れるほどに「こだわり」抜いて
意識せずとも「正しさ」が身に付いたときに
初めて自由になれる境地。

そういう文脈が前提に思う。
習ったワザを頭で考えて使おうとしても使えるものではない。
身に付いたワザしか本当の意味では使えない。

より精神的には
「命への執着の否定」ではあろうが
端的には意識と身体の自由度の問題に過ぎない。

伝統武術を現代に伝えることの難しさは
技術的問題ではなく秘伝がどうのでもなく
あたりまえだった「こだわり」を
現代人が持ちにくくなってるからじゃないかと思う。


ruminn_master at 2005年10月30日 15:30 【武】上野の森でまた練習コメント(0)トラックバック(0)  このエントリーをはてなブックマークに追加


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