2007年12月07日
【思】老舗の頭と今どきの商魂
逆だったらマシだったんだけどね。
船場吉兆の事件は、同じように関西の老舗飲食店の一族に生まれた者としては、哀しい気分にさせられたと同時に、あの小狡い責任逃れの腹の中が見えていた気がしてる。
関西の老舗の「あきない」の魂は、
「買って頂くお客様が第一」
「奉公人は家族以上に大切に」
なんてことなんだけど(本当は)、
それを忘れた私的な利潤追求に走りながら、
アタマの中は
従業員=「奉公人」という意識なので
「お店(おたな)のために犠牲になって当然」
なんて考えてるんだなぁ、と思ったよ、
最初に経営陣が知らんぷり決め込んだときには。
さすがに中央省庁に虚偽の報告書出す勇気は無かったから今回は一部認めた形になってるけど、「腹の中」が変わってない以上は、まだまだ「真実」からは程遠いのかも知れない。
このニュースの折、明治時代に創業された高級料亭「吉兆」の現状が取り上げられ、創業者一族の娘の婿が各「○○吉兆」の社長で、それぞれが独立してるという仕組みが紹介されていた。
たぶん知らない人には不思議に映りそうだ、と思ったが、娘婿が社長をしてる形式自体はよくある。
江戸ではそうでもないらしいが、上方、特に飲食店や旅館などの客商売では女系である。
といっても「女社長」という意味ではない。それは古臭い男尊女卑から形式的に女を社長にしなかったというのでもなく(皆無とは言い切れないけど)、息子は選べないが娘の婿は選べるから、優秀な経営者を婿養子に取ることで商売の安定を図るための知恵である。そして血統書付きの当の娘の方が「女将(おかみ)」な訳で、接客や奉公人など内政を仕切る。
他方で男の子は他の商売をしたり政治や学問をしたりして「商いを拡げる」「客を連れてくる」役割を果たし、商才が有ってどこかの店の婿養子となれば商売上のネットワークが築ける。
もっともこの仕組み、昔のように「家と家」の結婚の時代ならそれなりに機能するのだろうけれど、自由恋愛の時代となっては上手く行くとは限らない。娘の「オトコの趣味」や「オトコを見る目」がマトモという保証は無い。
また跡取り息子が店を食い潰す例は枚挙に暇がない、にも関わらず、どうしてもそういう情が有るのもたしかなようである。
今回の社長がどんな経緯で社長となった人物だか知らないが、どうにも人選に失敗したらしい。
また「あの人」個人の資質の問題というより、昨今の同族企業の不祥事連発を見るにつけ、同族経営、家族経営の体質が今やマイナス要因になるのだろうな、と思う。
古い体質というか意識が実態を伴わなくなっているのに、それが判っていない。
自分の子供の頃は「女中さん」が付いていたが、その人は「家政婦さん」ではない。時代が変わって「女中さん」と呼ぶのが差別だと言われて「お手伝いさん」だとか言ってみたところで実質上は変わらない訳で、彼女は古くからの「奉公人」であった。
奉公人というのは「店」の養子みたいなところがあって、給料が出る訳ではないが小遣いやお年玉が子供達同様に出る。学資も生活費も「店」から出るし、結婚の世話や就職の世話、子供が出来ればその子の世話まで「店」が責任を持っている。「店」は奉公人を大事にするが、世話されてる家族の方では素性など知らないことも多い。実際、自分も親も付いていた何人かの女中さんの苗字すら知らない。
多少は「店」によって色々だろうけど、大筋はそんな感じで「お店」というマトマリが形作られている。
そう、落語に出てくる丁稚、手代、番頭の世界なんだけど、こういう奉公人の凄いところは、個々の人間よりも「店」が大事なので、「店」のためにドラ息子に説教することも有れば自分を犠牲にすることもできる。滅私奉公というのはそういうことだが、それはそういう時代でもある。
奉公人が「店」を大事にしてくれるのは、「店」が奉公人を大事にしていたからである。
今の従業員を奉公人かのように思いこむ頭で、社長が従業員に責任を押しつける様は滑稽でしかない。
そして今回の船場吉兆は「客を大事にする」という「商いの基本」を外してる。
食品業界として見た場合、「賞味期限」「使用期限」の問題は避けて通れない大きな壁である。
期限が過ぎたら過ぎたでいい。
過ぎても
「(あと○○日は)(少々味は落ちるけど)大丈夫だ」
と言うのは「店」の判断な訳で、それに対する信用というのも有る。
要は
「だったら正直に言え」「そして安く売れ」である。
普通の料理屋で考えても、昨夜の売れ残りをランチで安く提供する。それは悪いことではない。
「但馬牛は高くてこの値段で出せない」
じゃあ
「正直に値上げする」か
「他の牛を使ってその分安くする」
のが「客を大事にする」という「商いの基本」じゃなかろうか。
それを客には安くせずにコストだけを下げて利鞘を掠め取ろうとする、それは現代ビジネスマンの神経としては珍しくないかも知れないが、客商売としては危険なセンスだろう。
頭の中では現代ビジネスマンの商才は必要だと思う。下げられるコストは下げるべきだ。より利潤を生む方法を合理的に追究すべきだ。
「節操」を捨ててしまえば上がる利益も多いが、信用という将来の利益を失う大博打をしていることは判っているべきだ。
そのせめぎ合いの中の歯止めが、老舗にとっては真に「お店」のことを考えてくれる奉公人の存在であり、「お客様を大事にする」という「商いの基本」、古臭いけれど本質的な部分じゃなかろうか。
信用を築くには多くの労力と長い時間が掛かるが、失うのは一瞬で済む。
個人的には再起不能だと思うが、もし再起を願うなら、船場吉兆に限らず昨今の食品偽装問題を起こしたところは、まずは「正直」な情報公開、それも考え方や人間性まで踏み込んだ開示が必要だと思う。
「老舗」というブランドの場合、創業者が獲得し大きくした信用というのは、そうした人間性に裏打ちされているものなのだから。
チャンと謝って無いよ、船場吉兆も亀田一族も(笑)。
どちらも
「バレたことの後悔」は有っても、
「(悪い性根は改めようという反省」は無いと思うから同レベルに思えるんだよね。
--
吉兆 料理花伝
吉兆味ばなし (1)
吉兆味ばなし〈2〉
吉兆味ばなし〈3〉
吉兆味ばなし〈4〉
吉兆味ばなし (1982年)
吉兆 湯木貞一のゆめ
吉兆 (1978年)
味吉兆で学んだ日本料理
「伊勢長」「吉兆」「なだ万」の料理長がいい酒肴(つまみ)ご用意いたしました。―晩酌党にはたまらない!
吉兆の家庭ふう料理―春夏・秋冬
図解「吉兆」仕込み庖丁さばきの極意 (講談社SOPHIA BOOKS)
嵐山吉兆 春の食卓
嵐山吉兆夏の食卓
嵐山吉兆 秋の食卓
嵐山吉兆冬の食卓
船場吉兆の事件は、同じように関西の老舗飲食店の一族に生まれた者としては、哀しい気分にさせられたと同時に、あの小狡い責任逃れの腹の中が見えていた気がしてる。
関西の老舗の「あきない」の魂は、
「買って頂くお客様が第一」
「奉公人は家族以上に大切に」
なんてことなんだけど(本当は)、
それを忘れた私的な利潤追求に走りながら、
アタマの中は
従業員=「奉公人」という意識なので
「お店(おたな)のために犠牲になって当然」
なんて考えてるんだなぁ、と思ったよ、
最初に経営陣が知らんぷり決め込んだときには。
さすがに中央省庁に虚偽の報告書出す勇気は無かったから今回は一部認めた形になってるけど、「腹の中」が変わってない以上は、まだまだ「真実」からは程遠いのかも知れない。
-----------
船場吉兆、取締役の関与認める 「偽装を把握し放置」 賞味期限改竄も結果責任
12月7日16時53分配信 産経新聞
船場吉兆(大阪市中央区)による偽装表示事件で、同社が農林水産省に提出する改善報告書の中で、牛肉の産地偽装について「偽装を把握しながら、放置した」として湯木正徳社長の長男の喜久郎取締役の関与を認めることが7日、わかった。報告書は10日に同省に提出される予定だが、消費・賞味期限の改竄(かいざん)についても、経営陣の結果責任を認める意向。これまで会見で経営陣の関与を全面的に否定してきた同社が、報告書では一転して「経営陣の責任」に言及する。
報告書は日本農林規格(JAS)法に基づく。同社はその中で、牛肉の仕入れ担当だった喜久郎取締役が今年1月以降は但馬牛の取引をやめ、福岡県内の業者から九州産牛肉だけを仕入れていたことを明記する。
そのうえで、贈答用のみそ漬けやすき焼きセットに「但馬牛」や「三田牛」と偽装表示した理由を「肉質の変わらない最高級の九州産牛肉を使用していたため、問題視していなかった」と説明、「法令順守(コンプライアンス)意識の欠如」を背景に挙げるという。
一方、福岡市の店舗で行われた消費・賞味期限の改竄については、経営陣の直接的な関与は否定。ただ、現場のパート従業員らに商品をすべて売り切るようプレッシャーをかけていたとして、改竄の「結果責任」が経営陣にあることを認める。
船場吉兆をめぐっては10〜11月に行われた農水省の立ち入り調査で、牛肉の産地偽装が発覚。先月16日には、不正競争防止法違反(虚偽表示)容疑で、本店などが大阪府警の捜索を受けている。
湯木社長や喜久郎取締役らは先月9日の会見で、「仕入れ担当者しか知らなかった」として経営陣の関与を全面否定。消費・賞味期限切れ商品のラベルの張り替えについても「すべて現場の独断」としていた。
また、報告書には偽装が相次いだ贈答用商品について、営業再開後も当面は販売を中止することを盛り込むという。
◇
■パート女性会見「会社から一切説明なし」
船場吉兆による偽装表示事件で、非正規雇用の労働組合「アルバイト・派遣・パート関西労働組合」に加入している心斎橋店のパート女性2人が7日、会見し「会社側から一切、説明がない」と不満をあらわにした。
また、団体交渉の場で湯木喜久郎取締役が牛肉の産地偽装について「私に責任がある」と認めたものの納得できる説明がなかったことや、女将(おかみ)が土下座する場面もあったことなどを明かした。
会見したのは、心斎橋店で予約や会計などの事務担当だった勤務歴11年の有川洋美さんと、今年3月からフロント勤務をしていた長井由美さん。
2人は冒頭、「お客さまには大変ご迷惑をおかけしました」と深く頭を下げた。一連の不正について会社から説明がなく、同店が営業自粛となった先月、組合加入を決意したという。
有川さんは「高級料亭のイメージがあるが、実質は家族経営の料理店。家父長的で、お父さん(湯木正徳社長)には文句がいえない」と説明。一方で「船場吉兆で働く誇りもあった。いつも『おもてなしの心を持て』といわれていたのに…」と寂しそうに語った。
会社側は最初の交渉でパート社員の解雇を通知。組合の反発で撤回されたが、近く全従業員を対象に希望退職者を募る予定という。
最終更新:12月7日16時53分
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071207-00000135-san-soci
--------------
このニュースの折、明治時代に創業された高級料亭「吉兆」の現状が取り上げられ、創業者一族の娘の婿が各「○○吉兆」の社長で、それぞれが独立してるという仕組みが紹介されていた。
たぶん知らない人には不思議に映りそうだ、と思ったが、娘婿が社長をしてる形式自体はよくある。
江戸ではそうでもないらしいが、上方、特に飲食店や旅館などの客商売では女系である。
といっても「女社長」という意味ではない。それは古臭い男尊女卑から形式的に女を社長にしなかったというのでもなく(皆無とは言い切れないけど)、息子は選べないが娘の婿は選べるから、優秀な経営者を婿養子に取ることで商売の安定を図るための知恵である。そして血統書付きの当の娘の方が「女将(おかみ)」な訳で、接客や奉公人など内政を仕切る。
他方で男の子は他の商売をしたり政治や学問をしたりして「商いを拡げる」「客を連れてくる」役割を果たし、商才が有ってどこかの店の婿養子となれば商売上のネットワークが築ける。
もっともこの仕組み、昔のように「家と家」の結婚の時代ならそれなりに機能するのだろうけれど、自由恋愛の時代となっては上手く行くとは限らない。娘の「オトコの趣味」や「オトコを見る目」がマトモという保証は無い。
また跡取り息子が店を食い潰す例は枚挙に暇がない、にも関わらず、どうしてもそういう情が有るのもたしかなようである。
今回の社長がどんな経緯で社長となった人物だか知らないが、どうにも人選に失敗したらしい。
また「あの人」個人の資質の問題というより、昨今の同族企業の不祥事連発を見るにつけ、同族経営、家族経営の体質が今やマイナス要因になるのだろうな、と思う。
古い体質というか意識が実態を伴わなくなっているのに、それが判っていない。
自分の子供の頃は「女中さん」が付いていたが、その人は「家政婦さん」ではない。時代が変わって「女中さん」と呼ぶのが差別だと言われて「お手伝いさん」だとか言ってみたところで実質上は変わらない訳で、彼女は古くからの「奉公人」であった。
奉公人というのは「店」の養子みたいなところがあって、給料が出る訳ではないが小遣いやお年玉が子供達同様に出る。学資も生活費も「店」から出るし、結婚の世話や就職の世話、子供が出来ればその子の世話まで「店」が責任を持っている。「店」は奉公人を大事にするが、世話されてる家族の方では素性など知らないことも多い。実際、自分も親も付いていた何人かの女中さんの苗字すら知らない。
多少は「店」によって色々だろうけど、大筋はそんな感じで「お店」というマトマリが形作られている。
そう、落語に出てくる丁稚、手代、番頭の世界なんだけど、こういう奉公人の凄いところは、個々の人間よりも「店」が大事なので、「店」のためにドラ息子に説教することも有れば自分を犠牲にすることもできる。滅私奉公というのはそういうことだが、それはそういう時代でもある。
奉公人が「店」を大事にしてくれるのは、「店」が奉公人を大事にしていたからである。
今の従業員を奉公人かのように思いこむ頭で、社長が従業員に責任を押しつける様は滑稽でしかない。
そして今回の船場吉兆は「客を大事にする」という「商いの基本」を外してる。
食品業界として見た場合、「賞味期限」「使用期限」の問題は避けて通れない大きな壁である。
期限が過ぎたら過ぎたでいい。
過ぎても
「(あと○○日は)(少々味は落ちるけど)大丈夫だ」
と言うのは「店」の判断な訳で、それに対する信用というのも有る。
要は
「だったら正直に言え」「そして安く売れ」である。
普通の料理屋で考えても、昨夜の売れ残りをランチで安く提供する。それは悪いことではない。
「但馬牛は高くてこの値段で出せない」
じゃあ
「正直に値上げする」か
「他の牛を使ってその分安くする」
のが「客を大事にする」という「商いの基本」じゃなかろうか。
それを客には安くせずにコストだけを下げて利鞘を掠め取ろうとする、それは現代ビジネスマンの神経としては珍しくないかも知れないが、客商売としては危険なセンスだろう。
頭の中では現代ビジネスマンの商才は必要だと思う。下げられるコストは下げるべきだ。より利潤を生む方法を合理的に追究すべきだ。
「節操」を捨ててしまえば上がる利益も多いが、信用という将来の利益を失う大博打をしていることは判っているべきだ。
そのせめぎ合いの中の歯止めが、老舗にとっては真に「お店」のことを考えてくれる奉公人の存在であり、「お客様を大事にする」という「商いの基本」、古臭いけれど本質的な部分じゃなかろうか。
信用を築くには多くの労力と長い時間が掛かるが、失うのは一瞬で済む。
個人的には再起不能だと思うが、もし再起を願うなら、船場吉兆に限らず昨今の食品偽装問題を起こしたところは、まずは「正直」な情報公開、それも考え方や人間性まで踏み込んだ開示が必要だと思う。
「老舗」というブランドの場合、創業者が獲得し大きくした信用というのは、そうした人間性に裏打ちされているものなのだから。
チャンと謝って無いよ、船場吉兆も亀田一族も(笑)。
どちらも
「バレたことの後悔」は有っても、
「(悪い性根は改めようという反省」は無いと思うから同レベルに思えるんだよね。
--
吉兆 料理花伝
吉兆味ばなし (1)
吉兆味ばなし〈2〉
吉兆味ばなし〈3〉
吉兆味ばなし〈4〉
吉兆味ばなし (1982年)
吉兆 湯木貞一のゆめ
吉兆 (1978年)
味吉兆で学んだ日本料理
「伊勢長」「吉兆」「なだ万」の料理長がいい酒肴(つまみ)ご用意いたしました。―晩酌党にはたまらない!
吉兆の家庭ふう料理―春夏・秋冬
図解「吉兆」仕込み庖丁さばきの極意 (講談社SOPHIA BOOKS)
嵐山吉兆 春の食卓
嵐山吉兆夏の食卓
嵐山吉兆 秋の食卓
嵐山吉兆冬の食卓
トラックバックURL
コメント一覧
1. Posted by ごじゃえもん 2007年12月08日 17:30
女系家族の話、とても勉強になります。私の家も、家系図を見ると、祖母の代から昔は親戚じゅう女系家族になっていたので。。。
うちも和菓子会社一族の端くれの端くれなので、赤福の事件は、なんだか他人事ではありませんでした。
うちも和菓子会社一族の端くれの端くれなので、赤福の事件は、なんだか他人事ではありませんでした。
2. Posted by るみん 2007年12月09日 00:10
ほうぅ和菓子屋ですか。どう考えても現代じゃたいへんな商売だよね。
昨今、どこでも既存のリクルート・システムが上手く機能してないように思われます。かといって新しい基準で人事を洗い直す程にはどこの経営陣も自信がある訳ではない。
この時代の実業、「まずは正直に」じゃないかと思います。
昨今、どこでも既存のリクルート・システムが上手く機能してないように思われます。かといって新しい基準で人事を洗い直す程にはどこの経営陣も自信がある訳ではない。
この時代の実業、「まずは正直に」じゃないかと思います。