2008年11月02日

【思】早稲田祭2008 1

今年の早稲田祭は11月2日と3日。

早稲田祭2008

今年の出番は2日の午前。

別に何か決め事がある訳じゃないけど、30年続いてきて25年関わってきた演武会を今年を一区切りにしようと思い、まぁそんな学園祭でした。

ずいぶん大学生の気質が変わったなぁ、と思うので、「昔ながら」のことやるのにずいぶんと無理が有るなと。

巷間よく言われるように「甘やかされてる」のか何だか個性重視の風潮なんだか、まぁ「個性」を認めてくれないとすぐにヘコむんですな、今の学生。

武術の世界では「誉める」稽古を「幇間稽古」といってダメの見本みたいなもので、そういうのは要は月謝が欲しいだけ、生徒に居て欲しいだけ、の江戸時代中期の「道場剣術」、つまり「本来の姿」からすると堕落した姿とされていた訳です。

モノを教える、モノを習うということは個性を捨てることから始まる、というのは伝統○○ってものの常。

守破離」というのは
「昔ながら」の方法を「守ろうとして守れない」段階を苦労し、
それを過ぎて型に嵌ってしまう段階に至り、
今度はそれを「破ろうとしても破れない」段階でもがき苦しみ、
「離れたつもりで離れられない」自覚に至り悩み続ける、
そんな風で、永遠に楽にならないものだと。

それだからこそ「修行」じゃないかと。

ダメ出しされてこその稽古なんだけど、今の人間ひ弱すぎるなと思う。

先日の狂言師の方の著作にあった家伝、口伝

「守って滅びよ」

媚びて本質を失うぐらいなら、「昔ながら」の教えを守って、可能ならば細々と。

そうやって600年前の狂言がその姿を21世紀に留めているのだと思うのです。

現代人は我執が強すぎるのでしょう。


他方で企業としての学校は学校で実利の無いことを嫌うのか、計算出来ないことが不安なのか、有象無象にあった学生のサークル活動も管理下に置こうとし過ぎる嫌いがある。

そして学生も「そのままで個性が評価されること」か「実利のあること」しかしなくなって、遠い目標とか、抽象的な理想とか、まぁとりあえず「腹の足しにならない」ことや「楽しくないこと」をやらなくなったような気もします。

飼い慣らされていることが家畜の生きる道ではあり、下手な自覚を持ったところで無力なままでは勝ち目はない、そんな学生を抱えつつ日本の大学は何処へ行こうというのか。

どっちもどっちですな。

下品な学生は男女問わず増えたけど、チカラもないクセに天下国家を論ずるようなスケールのデカイ馬鹿な学生は居なくなったように思う。

まぁそういう時代を身近に感じることが出来ただけでもここ数年の収穫でした。

ruminn_master at 2008年11月02日 13:36 【思】早稲田祭2008コメント(0)トラックバック(0)  このエントリーをはてなブックマークに追加


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