2009年06月27日

【歴】近藤勇の墓所と生家跡(甲州道中08上石原宿) 3

上石原宿ではバスから降りて龍源寺で墓参。

近藤勇墓所02

近藤勇こんどういさみ

1834‐68(天保5‐明治1)

幕末の新斤組隊長。武蔵国多摩郡石原村の宮川久次の第3子。天然理心流近藤周助の試衛館で剣法を学び,1849年(嘉永2)その養子となる。63年(文久3)将軍徳川家茂の上洛にあたり幕府が募った浪士隊に同門の土方歳三,沖田総司,永倉新八らと加わった。上洛した浪士隊は洛外壬生村に屯集した。清川八郎らが尊攘派と結んだので幕府から江戸へ帰還を命ぜられた後も京都に残り,京都守護職支配下に属して新斤組を結成。しだいに力をのばして隊長となり,尊攘派の取締りと弾圧にあたる。64年(元治1)6月池田屋事件で名をあげた。以後,洛中洛外の治安維持につとめ,幕臣にもなる。68年(明治1)1月の鳥羽・伏見の戦で幕軍敗退後江戸へ帰り,佐幕軍甲陽鎮撫隊を組織して官軍と甲斐勝沼で戦うが敗走。下総流山で降伏して捕らわれたとき大久保大和と名のるが,官軍に勇であることを見破られ,4月25日に板橋庚申塚の刑場で斬られ,首は京都三条河原に梟された。                    高木 俊輔

(c) 1998 Hitachi Digital Heibonsha, All rights reserved.
てな訳で、刑死してるので本当に五体満足で埋葬されてるのかどうかは諸説有るようですが。。。

近藤勇墓所03

とりあえず合掌。

寺の入り口には上掲の胸像と天然理心流の碑。

近藤勇墓所01

少し離れたところには生家跡とか道場跡もありました。

近藤勇生家跡00


ruminn_master at 2009年06月27日 13:30 【歴】近藤勇の墓所と生家跡(甲州道中08上石原宿)コメント(0)トラックバック(0)  このエントリーをはてなブックマークに追加


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