ラ・カーニャ
2006年09月10日
【楽】下北沢サトチャン・ソロ
何度目なんだっけな?
もう数えてないや、ってぐらいの数には、ボチボチなってきた気もします。
西川郷子 ソロ・ライブ
今回の場所は下北沢のラ・カーニャで。
宣伝のチカラも無視できないとは思うけど、毎回毎回ほぼ満員ですね。
近々ソロ・アルバムも出すそうで前途有望な新人です(笑)。
今回はそのアルバムに参加するミュージシャンの面々が会場にもチラホラ。
今回のステージ上の人々もそうみたい。
豪勢です。
しかし上々颱風の2人のボーカルを比較すると
ソロライブについての集客数はサトチャンの方が圧倒的に映美ちゃんより多いですね。
ちょっと何でだろうな?って考えてみる。。。
単に白崎さんは、あんまり積極的にソロ活動の宣伝をしないから、ってだけかも知れません。
ソロライブはどうしても経費の関係上、居住地である東京とかが御二方とも多いでしょうから、地方の上々ファンの動員は期待しにくい。
となるとファン層の違いが出る気がします。
都会で求められるのは癒し系、
地方で求められるのは刺激系なんて想定してみると、
サトチャンファンは都市部に多くて映美ちゃんファンは地方に分散してる気もします。
刺激を求める人は「より強く」を求めるから、
ソロでは不満が残って「やっぱり上々颱風(としての)ライブの方がいい」ってなるかもな、とかも思います。
刺激を求める人は同じ刺激に飽きやすいものですが、
癒しを求める人は同じ癒しを永遠に追い続けるようにも思えます。
そしてイメージとしての「親しみやすさ」にも2人はかなり違いがある。
単純に映美ちゃんは極端なメリハリの美形顔なので
「美人は冷たい」なんて巷間囁かれるイメージで損をする部分は有るでしょう。
それだけじゃなくて歌のジャンル、
西川さんはフォークかポップスだと思うけど、
白崎さんはジャズかシャンソンかムード歌謡か(笑)
ここにも「親しみやすさ」に差があるでしょう。
やっぱりソロライブまで足を運ぼうっていうのは「近づきたい」という想いの発露だと思えるものなぁ。。。
少しだけハナシは難しくなりますが・・・
---
「ジャズってよく判らなくて」って声は
「クラシックって難しくって」という声に劣らず昔から根強いものに思います。
演者はそんなこと考えてる人ばかりではないだろうけど、
ジャズとかクラシックって
「わかる」「わからない」ってのを分水嶺に
客が客を差別する空気を醸成してる気がします。
古澤さんは
「判るとかそんなことはどうでもいいんだよ。お前が「イイ」と思うかどうかだ」
とか言ってくれますけど、
そうじゃない人も多いなぁって常々感じるのがJazzライブの会場の空気。
多くは演者でなくて客が作ってる空気なのかも知れないけれど。
自分自身は数こそそれなりに増えましたが「わからない」側の人だと思うので、そういう場所で居心地の悪い思いをすることも少なく有りません。
他人を「わからない奴」と見下すことで優越感に浸るのは暗い心だと思う。
でもそういうダークサイドって誰でもが陥りやすいもの。
優越感を求める人間の性は払拭し難いもので、
人間は本性として
他人を見下すことで錯覚としての優越感すら求めてしまう哀しい生き物。
それは十分に判ります。
「身内」「部外者」なんて感覚も同じ。暗い心。
以前に排除暴力について長々と書いたことが有りましたが、
こういうことを「さが」と諦めてしまうのは嫌いな性分、
というか、
そういうものへの憤りが自分自身の原動力なので人より敏感なのだとは思います。
他人のモメゴトに首突っ込んで解決するのが仕事みたいなものですし、
武術家ですから敵意とか「お前がここにいるのは場違いだ」みたいなオーラには人一倍敏感な方ですが、
暗さに道は譲らないのがポリシーなので、自分は頑張って抵抗して生きてきましたし、今後もおそらくそんな生き方です。
しかし普通の人なら、そういう空気が醸成されれば足が遠のくでしょう。
---
そこでハナシを戻すと・・・
普段の上々颱風の音楽は
「仲間はずれを作らない」ってのが基本的なポリシーだったので
(少なくとも昔リーダーがそう宣った)
普段の客層がソロライブに足を運びやすいか、となると、
マニアックにジャズっぽくなればなるほど難しいかも知れません。
今回のソロアルバム作成にあたっては渋さ知らずから大勢のミュージシャンが参加してくれて豪勢この上ない。
音として分厚くなるのは素晴らしいことです。
とっても楽しみ。
でもその音楽の『良さ』を「わかる」必要がある空気を醸成してしまったら、本来の在り方から外れてしまうリスクを抱えてしまうような危惧感も抱いています。
そもそもこんな危惧感を抱くのは、最近の上々颱風の音楽が昔より複雑になって、何か単純な「わかりやすさ」や「楽しさ」が減ったなぁ、と感じているからですが。。。
それはバンドの成長と見るべきなんでしょうかねぇ。。。
まぁ古びた応援団故の杞憂、取り越し苦労でしょう、きっと(笑)。
少なくとも今日聴いた音楽は「わかりやすい」そして単純に「イイ」と思える心地よいものでした。
とりあえずは、それでいいんだよね。
もう数えてないや、ってぐらいの数には、ボチボチなってきた気もします。
西川郷子 ソロ・ライブ
今回の場所は下北沢のラ・カーニャで。
【西川郷子ソロLIVE】
西川郷子 {from 上々颱風}[Vo] 小沢あき[G]
ゲスト 水谷浩章[Bass]
9月10日(日)下北沢ラ・カーニャ
open 16:30/start 17:00
前売¥3,000/当日¥3,500
(整理番号付き・drink代別途¥500/税込)
お問い合わせ:M&Iカンパニー 03-5453-8899
http://mandi.blog.ocn.ne.jp/satoko/2006/08/post_c6e1.html
宣伝のチカラも無視できないとは思うけど、毎回毎回ほぼ満員ですね。
近々ソロ・アルバムも出すそうで前途有望な新人です(笑)。
今回はそのアルバムに参加するミュージシャンの面々が会場にもチラホラ。
今回のステージ上の人々もそうみたい。
豪勢です。
しかし上々颱風の2人のボーカルを比較すると
ソロライブについての集客数はサトチャンの方が圧倒的に映美ちゃんより多いですね。
ちょっと何でだろうな?って考えてみる。。。
単に白崎さんは、あんまり積極的にソロ活動の宣伝をしないから、ってだけかも知れません。
ソロライブはどうしても経費の関係上、居住地である東京とかが御二方とも多いでしょうから、地方の上々ファンの動員は期待しにくい。
となるとファン層の違いが出る気がします。
都会で求められるのは癒し系、
地方で求められるのは刺激系なんて想定してみると、
サトチャンファンは都市部に多くて映美ちゃんファンは地方に分散してる気もします。
刺激を求める人は「より強く」を求めるから、
ソロでは不満が残って「やっぱり上々颱風(としての)ライブの方がいい」ってなるかもな、とかも思います。
刺激を求める人は同じ刺激に飽きやすいものですが、
癒しを求める人は同じ癒しを永遠に追い続けるようにも思えます。
そしてイメージとしての「親しみやすさ」にも2人はかなり違いがある。
単純に映美ちゃんは極端なメリハリの美形顔なので
「美人は冷たい」なんて巷間囁かれるイメージで損をする部分は有るでしょう。
それだけじゃなくて歌のジャンル、
西川さんはフォークかポップスだと思うけど、
白崎さんはジャズかシャンソンかムード歌謡か(笑)
ここにも「親しみやすさ」に差があるでしょう。
やっぱりソロライブまで足を運ぼうっていうのは「近づきたい」という想いの発露だと思えるものなぁ。。。
少しだけハナシは難しくなりますが・・・
---
「ジャズってよく判らなくて」って声は
「クラシックって難しくって」という声に劣らず昔から根強いものに思います。
演者はそんなこと考えてる人ばかりではないだろうけど、
ジャズとかクラシックって
「わかる」「わからない」ってのを分水嶺に
客が客を差別する空気を醸成してる気がします。
古澤さんは
「判るとかそんなことはどうでもいいんだよ。お前が「イイ」と思うかどうかだ」
とか言ってくれますけど、
そうじゃない人も多いなぁって常々感じるのがJazzライブの会場の空気。
多くは演者でなくて客が作ってる空気なのかも知れないけれど。
自分自身は数こそそれなりに増えましたが「わからない」側の人だと思うので、そういう場所で居心地の悪い思いをすることも少なく有りません。
他人を「わからない奴」と見下すことで優越感に浸るのは暗い心だと思う。
でもそういうダークサイドって誰でもが陥りやすいもの。
優越感を求める人間の性は払拭し難いもので、
人間は本性として
他人を見下すことで錯覚としての優越感すら求めてしまう哀しい生き物。
それは十分に判ります。
「身内」「部外者」なんて感覚も同じ。暗い心。
以前に排除暴力について長々と書いたことが有りましたが、
こういうことを「さが」と諦めてしまうのは嫌いな性分、
というか、
そういうものへの憤りが自分自身の原動力なので人より敏感なのだとは思います。
他人のモメゴトに首突っ込んで解決するのが仕事みたいなものですし、
武術家ですから敵意とか「お前がここにいるのは場違いだ」みたいなオーラには人一倍敏感な方ですが、
暗さに道は譲らないのがポリシーなので、自分は頑張って抵抗して生きてきましたし、今後もおそらくそんな生き方です。
しかし普通の人なら、そういう空気が醸成されれば足が遠のくでしょう。
---
そこでハナシを戻すと・・・
普段の上々颱風の音楽は
「仲間はずれを作らない」ってのが基本的なポリシーだったので
(少なくとも昔リーダーがそう宣った)
普段の客層がソロライブに足を運びやすいか、となると、
マニアックにジャズっぽくなればなるほど難しいかも知れません。
今回のソロアルバム作成にあたっては渋さ知らずから大勢のミュージシャンが参加してくれて豪勢この上ない。
音として分厚くなるのは素晴らしいことです。
とっても楽しみ。
でもその音楽の『良さ』を「わかる」必要がある空気を醸成してしまったら、本来の在り方から外れてしまうリスクを抱えてしまうような危惧感も抱いています。
そもそもこんな危惧感を抱くのは、最近の上々颱風の音楽が昔より複雑になって、何か単純な「わかりやすさ」や「楽しさ」が減ったなぁ、と感じているからですが。。。
それはバンドの成長と見るべきなんでしょうかねぇ。。。
まぁ古びた応援団故の杞憂、取り越し苦労でしょう、きっと(笑)。
少なくとも今日聴いた音楽は「わかりやすい」そして単純に「イイ」と思える心地よいものでした。
とりあえずは、それでいいんだよね。