浅野内匠頭
2007年12月12日
【旅】忠臣蔵を訪ねて(浅野内匠頭の巻)
これも最近よく行くツアーで、定年退職した高校の歴史の先生の案内で史跡を巡る日本ファミリー旅行って小さい旅行社のバス旅。
この先生、妙にマイナーな場所も織り交ぜるのが面白いので好き(笑)。
今回は
講師と一緒にバスで巡る江戸歴史探訪
「元禄忠臣蔵の舞台地を訪ねて」
昼食付いて9400円でした。
忠臣蔵は日本人の大好きな、というかどこかDNAに刷り込まれてるのか、それとも文化の伏流として組み込まれているのか、普通の大人なら断片的にせよ知らない方が珍しいハナシかと思う。
(「今の若いモン」は知らんだろうけど(笑))
細かいハナシはネットで検索すれば限りなく出てくるので
・wiki忠臣蔵
・wiki仮名手本忠臣蔵
・忠臣蔵会館(史実研究団体)
・忠臣蔵関係 全国史跡巡り 東京都編
・忠臣蔵関係 全国史跡巡り Top頁(全国編)
今日は軽い旅日記として、前後編で整理します。
まずは午前の部(実際のツアーは近くにあるところを「ついでに」回ったりするので多少はズレます)、浅野内匠頭の切腹、そして討ち入り以前。
この先生、妙にマイナーな場所も織り交ぜるのが面白いので好き(笑)。
今回は
講師と一緒にバスで巡る江戸歴史探訪
「元禄忠臣蔵の舞台地を訪ねて」
昼食付いて9400円でした。
忠臣蔵は日本人の大好きな、というかどこかDNAに刷り込まれてるのか、それとも文化の伏流として組み込まれているのか、普通の大人なら断片的にせよ知らない方が珍しいハナシかと思う。
(「今の若いモン」は知らんだろうけど(笑))
細かいハナシはネットで検索すれば限りなく出てくるので
・wiki忠臣蔵
・wiki仮名手本忠臣蔵
・忠臣蔵会館(史実研究団体)
・忠臣蔵関係 全国史跡巡り 東京都編
・忠臣蔵関係 全国史跡巡り Top頁(全国編)
今日は軽い旅日記として、前後編で整理します。
まずは午前の部(実際のツアーは近くにあるところを「ついでに」回ったりするので多少はズレます)、浅野内匠頭の切腹、そして討ち入り以前。
- 江戸城「松の廊下」の刃傷沙汰
- 瑤泉院実家跡
- 南部坂雪の別れ
- 切腹最中
事件の起きる前、浅野内匠頭は江戸城正面の「大手門」から入り、刃傷沙汰の後は罪人扱いなので不浄門と言われる「平川門」から連れ出されたのでそのコースを歩きます。
ここからは曲がりくねった道に3つの番所(警備所)が配置された「二の丸」
江戸城内を歩きながら何となく口から出て来たのは
♪♪♪勅使下向の春弥生〜 いかに果たさん勤めなん 身は饗応の 大役ぞ〜♪♪♪
真山一郎『刃傷松の廊下』です。
リアルタイムじゃないのにどこで覚えたんだろう?(笑)
抜けたところに広々と広がるのが「本丸」
一番奥に「天守台」、天守閣自体は江戸初期の明暦の大火で焼け落ちて後は再建されないままだったので、飾りのようなもの、
その辺りは大奥、有名な「御鈴廊下」で仕切られた将軍以外は男子禁制の世界。
その手前に将軍や高級役人の執務室の書院、
その手前に一般役人の控える大広間などの部屋、
その間を繋ぐ長大な回廊が「松の廊下」となります。
なぜこんなことをしたのか?
については定説は無いけど、
大雑把なイメージとしては
接待係の浅野、それを教える立場の吉良、
賄賂を渡さなかったとか
塩の製法を教えなかったとか
いろいろ言われてるような過去の遺恨の意趣返しに
倍以上年の離れた老人の吉良が
若い(といっても30半ば)浅野をイビった。
それにブチ切れたと。
さて京都からの大事な客人の接待の前に刃傷沙汰とあっては即刻逮捕、罪人扱いで運び出されます。
一般にはこのコースだと言われていますが、この平川門は大奥の通用口でもあったので、それなりに立派な門構え、同じ門から罪人が運び出されたのかは少々怪しい。
大きな門の脇に勝手口みたいなのも有ったからそっちかもね。
芝の田村建顕の屋敷で沙汰を待つ浅野内匠頭でありました。
浅野内匠頭 切腹の地
当時の将軍は暴君と評判の綱吉ですし、京都からの客人の手前もあってか、事件からものの数時間で「切腹」。
巷間言われる「辞世の句」は後から作った疑いが強く、罪人として書き物は許されないままにスピード処刑されたので、本当の遺言は江戸詰の側近の部下が責任を問われないようにというせめてもの思いを田村家で口述筆記して貰ったこの一文だけというのが史実らしい。
泉岳寺境内には切腹時に血に染まった梅と岩が置かれておりました。
当の「終焉の地」は既に石碑だけなのですが、
それすらも日比谷通りの拡張工事に伴って一時撤去されておりました。。。
この後、浅野家の取り潰し、そして1年半後の「討ち入り」と繋がる訳です。
そこらのハナシは歌舞伎などで思いっきり膨らんでますね。
(だからこそ未だに色褪せないのですから悪い訳では無いですが)
浅野内匠頭の奥方は出家して「瑤泉院」となり、赤坂の実家に戻ったと。
その実家の場所は赤坂の氷川神社の境内の片隅に立て札だけが立っています。
討ち入りの直前に大石内蔵助が瑤泉院を訪れたものの間者(スパイ)の存在を憚って真実を隠して罵られて立ち去る、真実を知ってそれを瑤泉院が追うが追いつかない。
瑤泉院の実家に至る急坂が「南部坂」
歌舞伎で有名な「南部坂雪の別れ」という名シーンですが、当時には既に瑤泉院は実家を離れていたというのが史実のため、全くの作り話とのこと。
でもまぁ歌舞伎の舞台となった場所ということで観光スポットでは有るようです。
左側の土手の上はアメリカ大使館、坂を登った所には有名な洋食屋さん赤坂 津つ井 総本店が有ります。
オマケみたいなハナシですが、田村邸の近くの和菓子屋さん、新生堂さんが切腹最中というのを出しています。
要は最中の餡がハミ出してるのが「切腹」だっていうブラックジョークみたいな(笑)商品ですが、甘過ぎないし中の求肥の歯応えも良く、結構美味しいです。