狂言

2009年05月16日

【観】成田山薪能 4

本日のぽけかる倶楽部ツアーのメインはこの薪能

「京成電鉄創立100周年」とかの記念行事でもあり例年に増して豪華とのこと。

たしかに見応えのある舞台でした。

梅若奉納 成田山薪能

成田山奉納薪能01

大本山成田山 Top
大本山成田山 薪能
今年も開催!成田山薪能観劇と新勝寺の大護摩と精進料理- イベント - ぽけかる倶楽部
仏教ニュース: 成田山新勝寺 成田山薪能のご案内
成田市の成田山新勝寺で『第32回成田山薪能』【2009年のイベント】旅行サイト『プチたび』 - puchitabi.jp

成田山奉納薪能02

成田山薪能


実施場所:成田山新勝寺 光明堂前特設舞台(雨天の場合 光輪閣)
主催:大本山成田山新勝寺

5月16日、夜のとばりが清らかに境内を閉ざし、霊山の冷気に幽玄の世界がかもしだされるなか、日本古来より伝承される薪能を開催いたします。

■日時
平成21年5月16日(土)午後6 時開演 
(開場:午後4時30分 終演:午後8時頃予定)

■演目
仕舞「岩船」(いわふね)
仕舞「鶴亀」(つるかめ)
舞囃子「海女」(あま)
狂言「茶 壷」(ちゃつぼ)
能「葵上」あおいのうえ)

■料金 入場券/4千円 全席自由(団体を除く)
■入場券取扱所
○成田山新勝寺(各御護摩受付所・企画課) 
〒286-0023 千葉県成田市成田1番地 成田山薪能係 TEL0476-22-2111(8:00-16:00)
○(社)成田市観光協会(成田市役所・観光案内所・成田観光館)
○梅成会
○チケットぴあ TEL0570-02-9999 Pコード 393-598
■アクセス
開催地住所 〒286-002 千葉県成田市成田1番地
公共機関アクセス ■京成電鉄
京成成田駅下車 徒歩10分(平常時)
京成上野から特急で約65分
スカイライナーで約50分
京浜急行→都営地下鉄→京成電鉄と乗り入れ接続もあります。
(羽田空港より特急・急行の直通有り)
■JR
成田駅下車 徒歩10分(平常時)
横須賀線・総武線直通の「快速エアポート成田」で東京駅から約70分
上野から我孫子経由で約80分
■問い合わせ
問い合わせ先 大本山成田山新勝寺
TEL 0476-22-2111
FAX 0476-24-2210
公式サイト 大本山成田山
イベント情報 成田市 千葉県 成田山薪能

成田山奉納薪能03
成田山奉納薪能04

薪能自体は何度も見てますが、「奉納」だからなのか、今回は記念行事のせいもあるのか、式次第がキッチリとしていました。法楽・火入れ式から。

最初に新勝寺の偉いお坊さんが蝋燭に火を灯し、般若心経など読経してからその炎を行灯に移して舞台の上へ。

舞台の上でその行灯から竹竿で篝火への点火。

成田山奉納薪能05

こういうの初めて見ましたが、なかなかいいですな。

本来は全席自由席のイベントなんですが、ツアーの団体客としての参加のため座席が割り振られて、結構前の方のイイ席でしたけど、角度が悪くて舞台中央が柱の影って感じ。

====A□□□B
_____□□□
_____□□□
____C□□□D

能舞台ってこんな感じになってまして、
A_シテ柱(シテ=主役)
B_笛柱
C_目付柱
D_ワキ柱(ワキ=脇役)

ですが、ちょうどCの目付柱のライン。

ただ篝火の照明効果が生きる場所ではあったかな?

仕舞 「岩船(いわふね)」
  山崎正道
仕舞 「鶴亀(つるかめ)」
  梅若靖記
舞囃子 「海女(あま)」
  梅若玄祥(六郎改メ)

成田山奉納薪能06

ここまでは縁起物なんでしょうか、能の一部、踊りの部分のみを抽出して様々。

狂言 「茶壺(ちゃつぼ)」
  山本東次郎
  山本則俊・山本則重

成田山奉納薪能07
成田山奉納薪能08
成田山奉納薪能09


今回は知らずに申し込んだら「ラッキー」ってとこですが、山本東次郎家の狂言といいますか、大蔵流山本会の狂言って最近気になってワリとよく通ってる方だと思います。

「無理から笑わせる」のと違って物語の型の中でその組み立てで笑わせるような上品な狂言です。

声も良く通るしキリッとしてて分かり易い。

能 「葵上(あおいのうえ)」
  シテ 梅若晋矢
  ワキ 宝生閑殿田謙吉
  アイ 山本則重

  太鼓 安福光雄・桜井均
  小鼓 森澤勇司
  笛  栗林祐輔

<物語〜大本山成田山より>
 光源氏の正妻、左大臣家の息女の葵上は、物の怪にとりつかれ病に臥せっていた。回復させようと様々な方法を試みるが、うまくいかず、梓弓(あずさゆみ)の音で霊を呼ぶ「梓の法」の名手、照日の巫女を招き、物の怪の正体を明らかにすることになった。
成田山奉納薪能10

 巫女の法に掛けられて姿を表したのは、元皇太子妃で源氏の愛人の六条御息所の怨霊。御息女は、気高く教養深い高貴な女性ですが、近頃は源氏の足も遠のき、密かに源氏の姿を見ようと訪れた加茂の祭りでも車争いで正妻の葵上に敗れ、やり場のない辛さが募っていると訴える。そして、葵上の姿を見ると、嫉妬に駆られ、後妻打ち(妻が若い妾(めかけ)を憎んで打つこと)で、葵上の魂を抜き取ろうとする。

成田山奉納薪能11
成田山奉納薪能12

 家臣たちは、御息所の激しさにおののき、急ぎ偉大な法力を持つ修験者横川の小聖を呼ぶのだった。小聖が祈祷を始めると、御息所の心に巣くっている嫉妬心が鬼女となって現れ、

成田山奉納薪能13
成田山奉納薪能14

恨みの塊となった御息所は、葵上のみならず祈祷をしている小聖にも襲いかかるが、激しい戦いの末、御息所の怨霊は折り伏せられ、心安らかに成仏するのだった。

成田山奉納薪能15
成田山奉納薪能16
成田山奉納薪能17
成田山奉納薪能18
成田山奉納薪能19


話の展開もドラマティックで分かり易かった。

そして篝火で様子を変える能面のチカラみたいなものも実感できた。

なかなか見事な舞台で、自分の中でも1ステージ越えたような感覚です。

最初は判らない芸術や美術も数見てる内に「量から質」って変わる潮目が出てくるって言いますが、まさにそんな感じの今日でした。

ruminn_master at 2009年05月16日 20:10 【観】成田山薪能コメント(0)トラックバック(0)  このエントリーをはてなブックマークに追加

2008年12月06日

【芸】狂言「塗師」と能「松風」 3

先々月に「狂言を楽しむ会」というのに参加して、狂言、それも山本家の狂言山本東次郎さんの狂言に興味が湧いたので見に行ったイベント。

いやぁ、チョット今日の演目は重かった。。。

やっぱり予備知識がないと色んな目に遭いますが(笑)、まぁ、それも経験でしょうか。

場所は喜多六平太記念能楽堂、JR目黒駅を降り、目黒雅叙園の方に出て、ホリプロの坂を下り、ドレメ学園地区の奥辺り、徒歩10分弱。

こう書くと単純ですが、道を1本間違って線路沿いの道に入ってしまい、しかもそこは谷底、崖の下という感じで、目的の能楽堂の方へ抜ける横道は無く・・・と結構歩きました。( 公式の案内地図の「第2目標」を見落として、手前の「三井住友銀行事務センター」を「三井住友銀行」の支店とカンチガイして(並んで立ってるのに気付かずに)、曲がってしまった自分の責任ですけど、でも地図も少々紛らわしい。。。)

ま、ともかく到着。

塗師と松風01
塗師と松風02

なかなか厳かで立派な能楽堂です。

観客も満席、どうやら謡を習ってる人が多かったのか近隣のオジサン・オバサン連中皆様、なんだか和綴じの本を目で追いながら観賞されてました。

そして結構若い女の子も多いのが少々意外。落語会とは違って(笑)人数も多いし結構上品な感じww。日本文学専攻とかなんでしょうか。

本日の主催は銕仙会能楽研修所の関係らしい三聲会という団体。

第4回 三聲会

塗師と松風03

第4回 三聲会

12月6日(土)午後2時開演  於 喜多能楽堂

  狂言 塗師 山本則孝
  能  松風 馬野正基

 入場料 正面5,000円 / 脇正面4,000円
     中正面3,000円 / 2階席2,000円
     学生1,000円引き
銕仙会その他の公演


狂言 塗師 NUSHI

 都では今風の技術を持った塗師がもてはやされ、流行遅れとなった塗師の師匠は、やむなく越前の国に住む平六という弟子を頼って行くことにした。ところが、師匠に来られてはこちらの商売が成り立たないと思った平六の妻は、師匠を追い返そうと、夫は三年前に亡くなったと嘘をつく。大恩ある師匠ではあるが、妻には逆らえず、せめて一目会いたいと、亡霊の姿で師匠の前に現れる。

シテ  平六
 山本 則孝
アド  師匠
 山本東次郎
〃 平六の妻
 山本泰太郎

地謡
 山本 則直
 山本 則俊
 山本 則重
後見
 山本 則秀

〈休憩20分〉

 能 松風 MATSUKAZE

 西国行脚の僧が須磨の浦で由ありげな松を見て、里人に尋ねる。それは行平中納言が須磨に流されていた時に愛した、松風・村雨姉妹の旧跡であった。僧が近くの塩焼き小屋に立ち寄ると、そこへ折からの月光の下、二人の女が海人の身を嘆きつつ、潮汲車を引いて帰ってくる。塩屋で僧が旧跡を弔ったことを述べ、行平の和歌を口ずさむと、二人は涙にくれ自ら松風・村雨の幽霊と明かし、行平との恋物語を語る…。
 田楽の喜阿弥による原作「汐汲」を観阿弥および世阿弥が改作したもの。「熊野・松風は米の飯」とうたわれる幽玄第一の名曲。

シテ 松風
 馬野 正基
ツレ 村雨
 浅見 慈一
ワキ 旅僧
 舘田 善博
アイ 浦人
 山本泰太郎
    

 竹市  学
小鼓
 鵜澤洋太郎
大鼓
 國川  純
地謡
 武田 宗典
 松木 千俊
 武田 文志
 浅井 文義
 長山 桂三
 観世銕之丞
 武田 友志
 西村 高夫
後見
 浅見 真州
 清水 寛二

入場料(全席指定)
正面  5,000円
脇正面 4,000円
中正面 3,000円
2階席 2,000円
学生 1,000円引
詳細


最初は狂言「塗師」。40分ぐらい。

「塗師」と書いて「ぬし」と読むそう。蒔絵とかの職人さんなんでしょうか。伝統工芸の名工も時代の流れには勝てず都では仕事が無くなったと。
 で、その師匠が弟子を頼りにはるばると旅してきたら、その弟子の嫁が「ありがちな」強欲で「師匠がこの国に来たらウチの旦那の商売上がったり」とばかりに死んだことにしちゃって、その弟子は弟子で嫁にも勝てず、でも師匠に会いたいし、って訳で、幽霊の変装をして登場する。

でまぁ、普通ならバレて一騒動、チャンチャン!ってのがオチだと思うから、それを期待してたら、コレは「オチが無い」んです。

どうやら幽霊の扮装での舞が見せ場らしい。たしかに舞としては難度が高いものと思う。

でも「娯楽」としてはあまり笑える部分もなく、どちらかというと古典芸能の「観賞」。

まぁ一口に「狂言」と言っても色々あるようですし、その中の「高級」なのを見る機会だったということでしょうか。


休憩を挟んで能 松風

これが長い!2時間ぶっ通し!!

しかも衣装の煌びやかさも少なく、所作も大きくない。

物語は、旅の坊主が、浜辺の松に纏わる昔の悲恋物語を住民から聞いて供養するところから始まる。その後、浜辺の小屋を一夜の宿を求めた海女の姉妹こそ、その悲恋物語の中の姉妹の幽霊、供養に感謝して、昔の悲恋を思い出し舞い語る。

すごく地味です。

でもって席がなまじっか常識的に「良い席」で正面中央だったものですから、舞台装置として運び込まれた「松の木」の陰になって細かい所作が判りにくいのなんの。。。

演者も大変だと思うけど、見てる方も大変な演目でした。

自分も睡魔と戦うのに苦労しましたが、大半の人もまさか2時間もあるとは思わなかったようで、眠ってる人も多いし、若い女の子で耐えきれずに退席した人もチラホラ。

まぁ自分は一つの経験だと割り切ってましたが、こういうのこそイヤホンガイドが欲しいなと思います。

そういうコストをかけるのが難しいなら、30分ぐらいの演目解説を最初に誰かが出て来てやればまた違ったのにと考えます。

それならそんなに難しいことでもないでしょうし、「ココを見て下さい」と言われていれば興味も持続出来るモノです。

乙に構えてエラそうにして、というスナブ趣味は嫌いな性分なので言いますけど、これとかクラシックとかJazzとかでも「判る奴だけ判ればいい」というスタンスで、それでまた客も「自分は判ってる」という優越感でニヤついてるようなのが少なくないですが、根本的に、「人間として」間違ってると思います。

媚びるのではなく、「共存する意思」を持つ、そして示すことは、同じ人間の営みとして必要な姿勢だと思うのです。

もう少しだけ工夫が欲しいかな。楽しい能というものがありうるのなら。

狂言は演目次第だなと思いましたが。

ruminn_master at 2008年12月06日 17:18 【芸】狂言「塗師」と能「松風」コメント(0)トラックバック(0)  このエントリーをはてなブックマークに追加

2008年10月24日

【学】狂言を楽しむ会 5

今日のイベントは産経新聞社主催、ウェーブ産経で募集したのを見つけたんだか、サンケイリビングに載ってたんだかに応募して参加出来た(会場ではFujiSankei Business iの見本誌も配られてた)

「狂言を楽しむ会」

 大蔵流狂言師、山本東次郎主演の狂言「二人袴」を鑑賞後、昼食をはさみ、約40分の山本東次郎による解説がつく。参加費は昼食付きで1人6000円。
 今回は、「二人袴」や狂言の楽しみ方の話だけでなく、所蔵の装束や面も披露する。
 杉並能楽堂は、東京では靖国神社の能舞台に次ぐ歴史を持つ。白足袋を持参した方は、舞台見学も出来る。
http://www.sankei.co.jp/wave/html/081024koten1.html

最初の狂言鑑賞、及び【食】昼食の栗ご飯弁当については別記。

ここではイベント全体について整理します。

狂言鑑賞が終わっての昼食後、山本東次郎先生の解説が40分程ということでしたが、サービス熱心な方で、その後の能舞台見学、狂言面の解説まで本当に丁寧にしてくださいました。

山本東次郎先生01

お話しの内容は狂言鑑賞記の方にまとめて書いたようなものですから繰り返しませんが、「狂言」というもの、大蔵流山本東次郎家の「狂言」というものへの愛というか熱意というか、ひしひしと伝わりましたし、今回も格安でお引き受けなさったそうです。

狂言のすすめ
狂言のすすめ

この本を読んでから舞台を見せて頂き、お話を伺ったのですが、本を読んだだけだと(かなり世間の間違った認識に異論反論を唱えているような強気の内容なので)、「どんな頑固爺が出てくるのか」と心配していたのですが(笑)、とても人当たりの良い先生だし、話も素人に判るように急所を押さえたもので面白かったです。

他の本も読んでみますが、今度は人柄を知った上ですからまた違う意味で楽しめそうです。

狂言のことだま
狂言のことだま
山本東次郎家 狂言の面
山本東次郎家 狂言の面
狂言 山本東次郎
狂言 山本東次郎
狂言 山本東次郎
中・高校生のための狂言入門 (平凡社ライブラリー―offシリーズ (530))
中・高校生のための狂言入門 (平凡社ライブラリー―offシリーズ (530))


解説が終わった後、白足袋を持参した者だけ能舞台に上がって見学させて貰うことが出来、能舞台の上で、狂言面や能面の解説を受けることもできました。

山本東次郎先生02

この舞台、明治時代の弟子(銀行家)が当時の山本東次郎さんに贈与したものなのですが、無欲な人で登記などせずに放置していたら世界大恐慌で土地は差し押さえられ、上物だけを何とか守って当時は野原だった杉並の地に移築したものだとか(正確なことは杉並能楽堂のHPで。現場で聞き覚えた範囲です)。100年からの伝統有る檜舞台。素人が立てるだけでも光栄なことです。

面を片付けられている最中でしたが、我々がアレコレと質問するもんですから結局また引っ張り出して説明して下さいました。

狂言面01

子供用の猿のお面と同じ作者らしい鬼(武悪)の面。

狂言面02

世阿弥の時代だったかの名人の鬼(武悪)、乙(醜女)、そして奥に有るのが美人ですが・・・

狂言面03

美しき女も鬼に化け、いずれも変わらず、、、なんてことでしょうか。

しかしいずれも名人上手の手による文化財級のもの、迫力がありますが、決して美術品なのではなくて未だに現役の実用品なのが凄いところ。

そして演者が魂を吹き込むことで表情が生まれる不思議な品です。


ちょっと狂言の経験値も上げたくなりました。

ウチの近所、隣の駅の神楽坂を外れた辺りに矢来能楽堂が有りますな。

社団法人 能楽協会HPを見ると結構あるもんですな、能楽堂って)

神楽坂の矢来能楽堂は観世九皐会の本拠地だそうですが、今年12/23には「七拾七年会」という1977年生まれの能楽師の会が中心となって舞台をやるそうで、今回の関わりで言うと太郎冠者と婿をやってた二人が「昆布売」をやるそう。この日は先約があるので思案中。

12月の頭に喜多六平太記念能楽堂銕仙会能楽研修所主催の舞台で狂言「塗師」をやるのは帰ってすぐに申し込みました。

来年1月の末に国立能楽堂で「武家の狂言 町衆の狂言」という狂言3本にトークセッション付きの面白そうなのが有ったので、それも申込み。

渋谷のセルリアンタワー能楽堂はチョット高い(他の2〜3回分ぐらい)のでパスですな。

毎月第2日曜を「狂言の日」と銘打って横浜能楽堂がやってたんですな。あと4回ぐらい間に合うから、これはまぁ予定が合えば。2本で2000円と安いけど交通費もかかるし。

年明け正月のNHK教育テレビ、元旦の朝7時は能「橋弁慶」、2日は狂言「煎物」、1/25の夕方にも狂言「土筆」と能「西行桜」。

チョットしばらくハマります(笑)。

ruminn_master at 2008年10月24日 14:36 【学】狂言を楽しむ会コメント(0)トラックバック(0)  このエントリーをはてなブックマークに追加

【楽】狂言「二人袴」(大蔵流山本家) 5

時々は薪能とか見るので狂言も何度か見てるし、単純に「昔の喜劇」ぐらいの「面白いもの」と考えていた。

今日のチケットは親がイベント自体を見つけて取ってくれたのだが、詳細は演者も演目も全く聞いていなかった。
 ただ「狂言を解説付きで見に行く」という頭で、先日図書館でたまたま「狂言のすすめ」という本を見つけて読んだら予想以上に深いものであることが判明。

狂言のすすめ
狂言のすすめ

この著者を山本東次郎氏という。昭和12年生まれ。狂言方大蔵流・三世山本東次郎長男、現山本東次郎家四世。平成10年紫綬褒章受章。

さて

雨模様の本日の会場は杉並能楽堂
 営団丸ノ内線の中野富士見町駅から徒歩10分弱。外観は住宅街の真ん中の古い普通の住居だが、看板と由緒書でようやくそこと知れる。

杉並能楽堂01

その反対側の門柱を見たら「山本東次郎」って・・・

読んだばかりの著者の、興味を掻き立てられた狂言方の狂言を見ることが出来る好機であった次第。

お宅の中に案内されると古い能舞台(100年近いそうな)と客席を大きな屋根の中に抱える感じ。

杉並能楽堂02
杉並能楽堂03
杉並能楽堂04

本日のイベントはただ観劇するだけではないのだけど詳細は別記することにして、まずは狂言の内容から。

「二人袴」
・シテ(親)   :山本東次郎
・アド(舅)   :山本則俊(現東次郎の弟)
・アド(太郎冠者):山本則重(則俊長男)
・アド(婿)   :山本則秀(則俊次男)

(参考)
労音東葛センター狂言演目紹介
狂言作品のほほん解説
(参 考) 別 紙 <番組解説> 大蔵流狂言「二人 袴 」pdf

正確な、あるいは公式の内容は上記リンクに任せるとして、ここでは自分なりに大雑把にまとめると・・・

女の実家への挨拶を後回しにして嫁に貰ってしまった男が自分の親に連れられて舅へ挨拶に来た日の出来事。
 現代でも珍しいことではないが、昔は「足入れ婚」と呼ばれた正式な婚姻形式のひとつ、つまり試験婚が先行し、正式に嫁に貰うならば遅滞なく女の実家へ挨拶に行かなければならないという段取り。その挨拶を「婿入り」と呼ぶ。そしてそれ自体は何ら悪いことでも気が退けることでもないのだが、この婿殿はどうやら少々大人になりきれてない御仁で、延ばし延ばしになっていたらしい(今日の演出には無かったが懐妊してからの挨拶となった頃合いらしい)し、父親に連れられて渋々と訪れているような有様。
 それだけなら現代でも普通に有りそうな(現代日本ならさしずめ母親同伴なんだろうか)ハナシで終わるのだが、その昔の正装を象徴するところの「袴」、コレを付けずして舅の面前に出るのはますます気が退けるところに袴の用意は1本しかない。そこで息子だけ、親が来てるのがバレたら親だけ、両方顔出せと言われれば・・・
 1本の袴で何とか誤魔化そうとしたものの婚礼の儀の進む内に。。。

オチまで書くのは無粋なので最後は省くけど、まぁそんなハナシ。

落語にも幾つかこれを変形したのがありますな。
 大家に呼ばれた、祝いの席に呼ばれた、遊郭に連れて行って貰う、そのために「羽織を着て行かなきゃならない」となるのだけど、貧乏長屋にはたった1枚しか羽織が無い。さてとっかえひっかえ・・・

落語はより極端に誇張するので人数も多いしドタバタ劇になるのだけど、狂言のスタンスは全く違うことが今回初めて判った次第。

(といっても狂言には和泉流と大蔵流があり、その各流派にも諸家があるので、あくまでもここでいう「狂言」は今回勉強した大蔵流山本東次郎家の考え方、「武家の狂言」であり、「山本東次郎が追究する狂言」を前提としています。意見に個人差があるのは世の常だし、違うからこその諸流諸家ですから、異論については悪しからずご了承下さいm(__)m Sorry!)

たとえば落語の与太郎というのは「ありえない」レベルの奇人変人・大馬鹿野郎だったりするのだけど、狂言の世界にそんな奴は居ないと。
 どうやら極端や過剰を嫌った表現に留めることで、時代も地域も越えた全ての人の中にある愚かさや人間の業みたいな部分に気付かせようと。

表現を極端にしてしまうと観客にとっては「対岸の火事」、つまり身に染みない訳です。

世の犯罪報道が犯人の異常性や生育環境の特異性などをやたらと強調するのも何とか「対岸の火事」にして「安心したい」人の心の表れのように思います。

落語も「業の肯定」だとは立川談志師匠の科白ですが、ある意味落語の世界はだからこそに観客は気楽に笑ってられるのかも知れません。

しかし狂言はそういう「嘲笑う」態度を許さないもののようです。

狂言の根本的な主張、それは

「人間とは一なるもの」

だそう。

つまり誰の内にでも有るような見栄意地、付かなくても良いような下らない嘘、そんなことを抑えた表現、様式化、抽象化された表現を通して観客に「気付かそう」としているのだと。

まるで能舞台の休憩時間、テレビのCMタイムのように巷間言われ書かれる狂言だったりする訳ですが、どうやら一筋縄ではいかないようです。

今回の「二人袴」にしても、

・さっさと片付けなきゃならない用事を後回し
・大したことじゃないけど何だか自信が持てない
・何となく心細いから誰かに付いてきてもらう
・体裁を整えなきゃと思って嘘をついてしまう
・小さな嘘を誤魔化すためにさらに嘘を付いてしまう
・本当のことが言い出せない

なんてことは600年前に限らず現代でも、そしておそらく日本に限らず、何処でも誰にでも有るような、人間「らしい」姿かもと思います。

そういう見ている者の内側からの「気付き」を待とうという姿勢、「所詮同じ人間」、各自の内面からのものだからこその普遍性・一般性を求めて表現する側の表現を抽象的に削ぎ落としていった大蔵流山本東次郎家、この対極には表現を写実的に直接的に、「表現者の側からメッセージを伝える」工夫を重ねる方向性もあり、そういう狂言もあるようです。

その対比も意識して見てみたいですな。

ただ伝統古武術なんてものを長年やってる身として思うことは、昔の教え方というのは抽象的で「気付き」を待ってるんですね、弟子の。
 ところが現代人は「ハッキリ言ってくれないと判らない。面白くない。それならもっと楽しいことをヤル」となるようです。
 今は「昔ながらのやり方」で若い人に伝えることが難しくなっていると思います。

家伝だからこそ、伝承としてはこれからも守れるかも知れません。実際今日の舞台にも1977年生まれの後継者達が上がって居りました。

ただ表現の受け手のレベルは確実に落ちているように思います。
 テレビは人に深い想像力を求めません。予定された反応を期待されたレベルでする大衆だけを消費社会は必要とするのですから。
 そして人は受け身に慣れ過ぎて、内面から湧き上がってくる本来なら共感しうる感情を対話で共感に築きあげていく能力は低下してるようです。
 抽象的表現は判りにくいと避けられるか、勝手な曲解を留める方途を持てないままに個々に消費されてしまうか。いずれにしても現代で「ウケる」ことは難しそうです。

家訓が「守って滅びよ」だそうです。

媚びて本質を失うよりは孤高に滅びよということでしょうか。

難しいとは思いますが、「今の若いモンは・・」というセリフは大昔から変わらず言われ続けています。おそらく時代は巡り巡るように思います。頑張って欲しいという気がしました。

そして、もしかして客の感想として一番肝心なのかも知れませんが、今日の狂言、芝居としてとても面白かったです。

この文章は、本を読んだ上で実際に表現を見、解説して頂いた上での思索です。

狂言のすすめ
狂言のすすめ

自分としてはとても有意義な経験でした。

ruminn_master at 2008年10月24日 11:46 【楽】狂言「二人袴」(大蔵流山本家)コメント(0)トラックバック(0)  このエントリーをはてなブックマークに追加
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