能
2009年05月16日
【観】成田山薪能
本日のぽけかる倶楽部ツアーのメインはこの薪能。
「京成電鉄創立100周年」とかの記念行事でもあり例年に増して豪華とのこと。
たしかに見応えのある舞台でした。
梅若奉納 成田山薪能
・大本山成田山 Top
・大本山成田山 薪能
・今年も開催!成田山薪能観劇と新勝寺の大護摩と精進料理- イベント - ぽけかる倶楽部
・仏教ニュース: 成田山新勝寺 成田山薪能のご案内
・成田市の成田山新勝寺で『第32回成田山薪能』【2009年のイベント】旅行サイト『プチたび』 - puchitabi.jp
薪能自体は何度も見てますが、「奉納」だからなのか、今回は記念行事のせいもあるのか、式次第がキッチリとしていました。法楽・火入れ式から。
最初に新勝寺の偉いお坊さんが蝋燭に火を灯し、般若心経など読経してからその炎を行灯に移して舞台の上へ。
舞台の上でその行灯から竹竿で篝火への点火。
こういうの初めて見ましたが、なかなかいいですな。
本来は全席自由席のイベントなんですが、ツアーの団体客としての参加のため座席が割り振られて、結構前の方のイイ席でしたけど、角度が悪くて舞台中央が柱の影って感じ。
====A□□□B
_____□□□
_____□□□
____C□□□D
能舞台ってこんな感じになってまして、
A_シテ柱(シテ=主役)
B_笛柱
C_目付柱
D_ワキ柱(ワキ=脇役)
ですが、ちょうどCの目付柱のライン。
ただ篝火の照明効果が生きる場所ではあったかな?
仕舞 「岩船(いわふね)」
山崎正道
仕舞 「鶴亀(つるかめ)」
梅若靖記
舞囃子 「海女(あま)」
梅若玄祥(六郎改メ)
ここまでは縁起物なんでしょうか、能の一部、踊りの部分のみを抽出して様々。
狂言 「茶壺(ちゃつぼ)」
山本東次郎
山本則俊・山本則重
今回は知らずに申し込んだら「ラッキー」ってとこですが、山本東次郎家の狂言といいますか、大蔵流山本会の狂言って最近気になってワリとよく通ってる方だと思います。
「無理から笑わせる」のと違って物語の型の中でその組み立てで笑わせるような上品な狂言です。
声も良く通るしキリッとしてて分かり易い。
能 「葵上(あおいのうえ)」
シテ 梅若晋矢
ワキ 宝生閑・殿田謙吉
アイ 山本則重
太鼓 安福光雄・桜井均
小鼓 森澤勇司
笛 栗林祐輔
<物語〜大本山成田山より>
光源氏の正妻、左大臣家の息女の葵上は、物の怪にとりつかれ病に臥せっていた。回復させようと様々な方法を試みるが、うまくいかず、梓弓(あずさゆみ)の音で霊を呼ぶ「梓の法」の名手、照日の巫女を招き、物の怪の正体を明らかにすることになった。
巫女の法に掛けられて姿を表したのは、元皇太子妃で源氏の愛人の六条御息所の怨霊。御息女は、気高く教養深い高貴な女性ですが、近頃は源氏の足も遠のき、密かに源氏の姿を見ようと訪れた加茂の祭りでも車争いで正妻の葵上に敗れ、やり場のない辛さが募っていると訴える。そして、葵上の姿を見ると、嫉妬に駆られ、後妻打ち(妻が若い妾(めかけ)を憎んで打つこと)で、葵上の魂を抜き取ろうとする。
家臣たちは、御息所の激しさにおののき、急ぎ偉大な法力を持つ修験者横川の小聖を呼ぶのだった。小聖が祈祷を始めると、御息所の心に巣くっている嫉妬心が鬼女となって現れ、
恨みの塊となった御息所は、葵上のみならず祈祷をしている小聖にも襲いかかるが、激しい戦いの末、御息所の怨霊は折り伏せられ、心安らかに成仏するのだった。
話の展開もドラマティックで分かり易かった。
そして篝火で様子を変える能面のチカラみたいなものも実感できた。
なかなか見事な舞台で、自分の中でも1ステージ越えたような感覚です。
最初は判らない芸術や美術も数見てる内に「量から質」って変わる潮目が出てくるって言いますが、まさにそんな感じの今日でした。
「京成電鉄創立100周年」とかの記念行事でもあり例年に増して豪華とのこと。
たしかに見応えのある舞台でした。
梅若奉納 成田山薪能
・大本山成田山 Top
・大本山成田山 薪能
・今年も開催!成田山薪能観劇と新勝寺の大護摩と精進料理- イベント - ぽけかる倶楽部
・仏教ニュース: 成田山新勝寺 成田山薪能のご案内
・成田市の成田山新勝寺で『第32回成田山薪能』【2009年のイベント】旅行サイト『プチたび』 - puchitabi.jp
成田山薪能
実施場所:成田山新勝寺 光明堂前特設舞台(雨天の場合 光輪閣)
主催:大本山成田山新勝寺
5月16日、夜のとばりが清らかに境内を閉ざし、霊山の冷気に幽玄の世界がかもしだされるなか、日本古来より伝承される薪能を開催いたします。
■日時
平成21年5月16日(土)午後6 時開演
(開場:午後4時30分 終演:午後8時頃予定)
■演目
仕舞「岩船」(いわふね)
仕舞「鶴亀」(つるかめ)
舞囃子「海女」(あま)
狂言「茶 壷」(ちゃつぼ)
能「葵上」あおいのうえ)
■料金 入場券/4千円 全席自由(団体を除く)
■入場券取扱所
○成田山新勝寺(各御護摩受付所・企画課)
〒286-0023 千葉県成田市成田1番地 成田山薪能係 TEL0476-22-2111(8:00-16:00)
○(社)成田市観光協会(成田市役所・観光案内所・成田観光館)
○梅成会
○チケットぴあ TEL0570-02-9999 Pコード 393-598
■アクセス
開催地住所 〒286-002 千葉県成田市成田1番地
公共機関アクセス ■京成電鉄
京成成田駅下車 徒歩10分(平常時)
京成上野から特急で約65分
スカイライナーで約50分
京浜急行→都営地下鉄→京成電鉄と乗り入れ接続もあります。
(羽田空港より特急・急行の直通有り)
■JR
成田駅下車 徒歩10分(平常時)
横須賀線・総武線直通の「快速エアポート成田」で東京駅から約70分
上野から我孫子経由で約80分
■問い合わせ
問い合わせ先 大本山成田山新勝寺
TEL 0476-22-2111
FAX 0476-24-2210
公式サイト 大本山成田山
イベント情報 成田市 千葉県 成田山薪能
薪能自体は何度も見てますが、「奉納」だからなのか、今回は記念行事のせいもあるのか、式次第がキッチリとしていました。法楽・火入れ式から。
最初に新勝寺の偉いお坊さんが蝋燭に火を灯し、般若心経など読経してからその炎を行灯に移して舞台の上へ。
舞台の上でその行灯から竹竿で篝火への点火。
こういうの初めて見ましたが、なかなかいいですな。
本来は全席自由席のイベントなんですが、ツアーの団体客としての参加のため座席が割り振られて、結構前の方のイイ席でしたけど、角度が悪くて舞台中央が柱の影って感じ。
====A□□□B
_____□□□
_____□□□
____C□□□D
能舞台ってこんな感じになってまして、
A_シテ柱(シテ=主役)
B_笛柱
C_目付柱
D_ワキ柱(ワキ=脇役)
ですが、ちょうどCの目付柱のライン。
ただ篝火の照明効果が生きる場所ではあったかな?
仕舞 「岩船(いわふね)」
山崎正道
仕舞 「鶴亀(つるかめ)」
梅若靖記
舞囃子 「海女(あま)」
梅若玄祥(六郎改メ)
ここまでは縁起物なんでしょうか、能の一部、踊りの部分のみを抽出して様々。
狂言 「茶壺(ちゃつぼ)」
山本東次郎
山本則俊・山本則重
今回は知らずに申し込んだら「ラッキー」ってとこですが、山本東次郎家の狂言といいますか、大蔵流山本会の狂言って最近気になってワリとよく通ってる方だと思います。
「無理から笑わせる」のと違って物語の型の中でその組み立てで笑わせるような上品な狂言です。
声も良く通るしキリッとしてて分かり易い。
能 「葵上(あおいのうえ)」
シテ 梅若晋矢
ワキ 宝生閑・殿田謙吉
アイ 山本則重
太鼓 安福光雄・桜井均
小鼓 森澤勇司
笛 栗林祐輔
<物語〜大本山成田山より>
光源氏の正妻、左大臣家の息女の葵上は、物の怪にとりつかれ病に臥せっていた。回復させようと様々な方法を試みるが、うまくいかず、梓弓(あずさゆみ)の音で霊を呼ぶ「梓の法」の名手、照日の巫女を招き、物の怪の正体を明らかにすることになった。
巫女の法に掛けられて姿を表したのは、元皇太子妃で源氏の愛人の六条御息所の怨霊。御息女は、気高く教養深い高貴な女性ですが、近頃は源氏の足も遠のき、密かに源氏の姿を見ようと訪れた加茂の祭りでも車争いで正妻の葵上に敗れ、やり場のない辛さが募っていると訴える。そして、葵上の姿を見ると、嫉妬に駆られ、後妻打ち(妻が若い妾(めかけ)を憎んで打つこと)で、葵上の魂を抜き取ろうとする。
家臣たちは、御息所の激しさにおののき、急ぎ偉大な法力を持つ修験者横川の小聖を呼ぶのだった。小聖が祈祷を始めると、御息所の心に巣くっている嫉妬心が鬼女となって現れ、
恨みの塊となった御息所は、葵上のみならず祈祷をしている小聖にも襲いかかるが、激しい戦いの末、御息所の怨霊は折り伏せられ、心安らかに成仏するのだった。
話の展開もドラマティックで分かり易かった。
そして篝火で様子を変える能面のチカラみたいなものも実感できた。
なかなか見事な舞台で、自分の中でも1ステージ越えたような感覚です。
最初は判らない芸術や美術も数見てる内に「量から質」って変わる潮目が出てくるって言いますが、まさにそんな感じの今日でした。
2008年12月06日
【芸】狂言「塗師」と能「松風」
先々月に「狂言を楽しむ会」というのに参加して、狂言、それも山本家の狂言、山本東次郎さんの狂言に興味が湧いたので見に行ったイベント。
いやぁ、チョット今日の演目は重かった。。。
やっぱり予備知識がないと色んな目に遭いますが(笑)、まぁ、それも経験でしょうか。
場所は喜多六平太記念能楽堂、JR目黒駅を降り、目黒雅叙園の方に出て、ホリプロの坂を下り、ドレメ学園地区の奥辺り、徒歩10分弱。
こう書くと単純ですが、道を1本間違って線路沿いの道に入ってしまい、しかもそこは谷底、崖の下という感じで、目的の能楽堂の方へ抜ける横道は無く・・・と結構歩きました。( 公式の案内地図の「第2目標」を見落として、手前の「三井住友銀行事務センター」を「三井住友銀行」の支店とカンチガイして(並んで立ってるのに気付かずに)、曲がってしまった自分の責任ですけど、でも地図も少々紛らわしい。。。)
ま、ともかく到着。
なかなか厳かで立派な能楽堂です。
観客も満席、どうやら謡を習ってる人が多かったのか近隣のオジサン・オバサン連中皆様、なんだか和綴じの本を目で追いながら観賞されてました。
そして結構若い女の子も多いのが少々意外。落語会とは違って(笑)人数も多いし結構上品な感じww。日本文学専攻とかなんでしょうか。
本日の主催は銕仙会能楽研修所の関係らしい三聲会という団体。
第4回 三聲会
最初は狂言「塗師」。40分ぐらい。
「塗師」と書いて「ぬし」と読むそう。蒔絵とかの職人さんなんでしょうか。伝統工芸の名工も時代の流れには勝てず都では仕事が無くなったと。
で、その師匠が弟子を頼りにはるばると旅してきたら、その弟子の嫁が「ありがちな」強欲で「師匠がこの国に来たらウチの旦那の商売上がったり」とばかりに死んだことにしちゃって、その弟子は弟子で嫁にも勝てず、でも師匠に会いたいし、って訳で、幽霊の変装をして登場する。
でまぁ、普通ならバレて一騒動、チャンチャン!ってのがオチだと思うから、それを期待してたら、コレは「オチが無い」んです。
どうやら幽霊の扮装での舞が見せ場らしい。たしかに舞としては難度が高いものと思う。
でも「娯楽」としてはあまり笑える部分もなく、どちらかというと古典芸能の「観賞」。
まぁ一口に「狂言」と言っても色々あるようですし、その中の「高級」なのを見る機会だったということでしょうか。
休憩を挟んで能 松風。
これが長い!2時間ぶっ通し!!
しかも衣装の煌びやかさも少なく、所作も大きくない。
物語は、旅の坊主が、浜辺の松に纏わる昔の悲恋物語を住民から聞いて供養するところから始まる。その後、浜辺の小屋を一夜の宿を求めた海女の姉妹こそ、その悲恋物語の中の姉妹の幽霊、供養に感謝して、昔の悲恋を思い出し舞い語る。
すごく地味です。
でもって席がなまじっか常識的に「良い席」で正面中央だったものですから、舞台装置として運び込まれた「松の木」の陰になって細かい所作が判りにくいのなんの。。。
演者も大変だと思うけど、見てる方も大変な演目でした。
自分も睡魔と戦うのに苦労しましたが、大半の人もまさか2時間もあるとは思わなかったようで、眠ってる人も多いし、若い女の子で耐えきれずに退席した人もチラホラ。
まぁ自分は一つの経験だと割り切ってましたが、こういうのこそイヤホンガイドが欲しいなと思います。
そういうコストをかけるのが難しいなら、30分ぐらいの演目解説を最初に誰かが出て来てやればまた違ったのにと考えます。
それならそんなに難しいことでもないでしょうし、「ココを見て下さい」と言われていれば興味も持続出来るモノです。
乙に構えてエラそうにして、というスナブ趣味は嫌いな性分なので言いますけど、これとかクラシックとかJazzとかでも「判る奴だけ判ればいい」というスタンスで、それでまた客も「自分は判ってる」という優越感でニヤついてるようなのが少なくないですが、根本的に、「人間として」間違ってると思います。
媚びるのではなく、「共存する意思」を持つ、そして示すことは、同じ人間の営みとして必要な姿勢だと思うのです。
もう少しだけ工夫が欲しいかな。楽しい能というものがありうるのなら。
狂言は演目次第だなと思いましたが。
いやぁ、チョット今日の演目は重かった。。。
やっぱり予備知識がないと色んな目に遭いますが(笑)、まぁ、それも経験でしょうか。
場所は喜多六平太記念能楽堂、JR目黒駅を降り、目黒雅叙園の方に出て、ホリプロの坂を下り、ドレメ学園地区の奥辺り、徒歩10分弱。
こう書くと単純ですが、道を1本間違って線路沿いの道に入ってしまい、しかもそこは谷底、崖の下という感じで、目的の能楽堂の方へ抜ける横道は無く・・・と結構歩きました。( 公式の案内地図の「第2目標」を見落として、手前の「三井住友銀行事務センター」を「三井住友銀行」の支店とカンチガイして(並んで立ってるのに気付かずに)、曲がってしまった自分の責任ですけど、でも地図も少々紛らわしい。。。)
ま、ともかく到着。
なかなか厳かで立派な能楽堂です。
観客も満席、どうやら謡を習ってる人が多かったのか近隣のオジサン・オバサン連中皆様、なんだか和綴じの本を目で追いながら観賞されてました。
そして結構若い女の子も多いのが少々意外。落語会とは違って(笑)人数も多いし結構上品な感じww。日本文学専攻とかなんでしょうか。
本日の主催は銕仙会能楽研修所の関係らしい三聲会という団体。
第4回 三聲会
第4回 三聲会
12月6日(土)午後2時開演 於 喜多能楽堂
狂言 塗師 山本則孝
能 松風 馬野正基
入場料 正面5,000円 / 脇正面4,000円
中正面3,000円 / 2階席2,000円
学生1,000円引き
銕仙会その他の公演
狂言 塗師 NUSHI
都では今風の技術を持った塗師がもてはやされ、流行遅れとなった塗師の師匠は、やむなく越前の国に住む平六という弟子を頼って行くことにした。ところが、師匠に来られてはこちらの商売が成り立たないと思った平六の妻は、師匠を追い返そうと、夫は三年前に亡くなったと嘘をつく。大恩ある師匠ではあるが、妻には逆らえず、せめて一目会いたいと、亡霊の姿で師匠の前に現れる。
シテ 平六
山本 則孝
アド 師匠
山本東次郎
〃 平六の妻
山本泰太郎
地謡
山本 則直
山本 則俊
山本 則重
後見
山本 則秀
〈休憩20分〉
能 松風 MATSUKAZE
西国行脚の僧が須磨の浦で由ありげな松を見て、里人に尋ねる。それは行平中納言が須磨に流されていた時に愛した、松風・村雨姉妹の旧跡であった。僧が近くの塩焼き小屋に立ち寄ると、そこへ折からの月光の下、二人の女が海人の身を嘆きつつ、潮汲車を引いて帰ってくる。塩屋で僧が旧跡を弔ったことを述べ、行平の和歌を口ずさむと、二人は涙にくれ自ら松風・村雨の幽霊と明かし、行平との恋物語を語る…。
田楽の喜阿弥による原作「汐汲」を観阿弥および世阿弥が改作したもの。「熊野・松風は米の飯」とうたわれる幽玄第一の名曲。
シテ 松風
馬野 正基
ツレ 村雨
浅見 慈一
ワキ 旅僧
舘田 善博
アイ 浦人
山本泰太郎
笛
竹市 学
小鼓
鵜澤洋太郎
大鼓
國川 純
地謡
武田 宗典
松木 千俊
武田 文志
浅井 文義
長山 桂三
観世銕之丞
武田 友志
西村 高夫
後見
浅見 真州
清水 寛二
入場料(全席指定)
正面 5,000円
脇正面 4,000円
中正面 3,000円
2階席 2,000円
学生 1,000円引
詳細
最初は狂言「塗師」。40分ぐらい。
「塗師」と書いて「ぬし」と読むそう。蒔絵とかの職人さんなんでしょうか。伝統工芸の名工も時代の流れには勝てず都では仕事が無くなったと。
で、その師匠が弟子を頼りにはるばると旅してきたら、その弟子の嫁が「ありがちな」強欲で「師匠がこの国に来たらウチの旦那の商売上がったり」とばかりに死んだことにしちゃって、その弟子は弟子で嫁にも勝てず、でも師匠に会いたいし、って訳で、幽霊の変装をして登場する。
でまぁ、普通ならバレて一騒動、チャンチャン!ってのがオチだと思うから、それを期待してたら、コレは「オチが無い」んです。
どうやら幽霊の扮装での舞が見せ場らしい。たしかに舞としては難度が高いものと思う。
でも「娯楽」としてはあまり笑える部分もなく、どちらかというと古典芸能の「観賞」。
まぁ一口に「狂言」と言っても色々あるようですし、その中の「高級」なのを見る機会だったということでしょうか。
休憩を挟んで能 松風。
これが長い!2時間ぶっ通し!!
しかも衣装の煌びやかさも少なく、所作も大きくない。
物語は、旅の坊主が、浜辺の松に纏わる昔の悲恋物語を住民から聞いて供養するところから始まる。その後、浜辺の小屋を一夜の宿を求めた海女の姉妹こそ、その悲恋物語の中の姉妹の幽霊、供養に感謝して、昔の悲恋を思い出し舞い語る。
すごく地味です。
でもって席がなまじっか常識的に「良い席」で正面中央だったものですから、舞台装置として運び込まれた「松の木」の陰になって細かい所作が判りにくいのなんの。。。
演者も大変だと思うけど、見てる方も大変な演目でした。
自分も睡魔と戦うのに苦労しましたが、大半の人もまさか2時間もあるとは思わなかったようで、眠ってる人も多いし、若い女の子で耐えきれずに退席した人もチラホラ。
まぁ自分は一つの経験だと割り切ってましたが、こういうのこそイヤホンガイドが欲しいなと思います。
そういうコストをかけるのが難しいなら、30分ぐらいの演目解説を最初に誰かが出て来てやればまた違ったのにと考えます。
それならそんなに難しいことでもないでしょうし、「ココを見て下さい」と言われていれば興味も持続出来るモノです。
乙に構えてエラそうにして、というスナブ趣味は嫌いな性分なので言いますけど、これとかクラシックとかJazzとかでも「判る奴だけ判ればいい」というスタンスで、それでまた客も「自分は判ってる」という優越感でニヤついてるようなのが少なくないですが、根本的に、「人間として」間違ってると思います。
媚びるのではなく、「共存する意思」を持つ、そして示すことは、同じ人間の営みとして必要な姿勢だと思うのです。
もう少しだけ工夫が欲しいかな。楽しい能というものがありうるのなら。
狂言は演目次第だなと思いましたが。