2006年08月23日
【思】ようやく1年?もう1年?
去年の8月23日に開設したこのBlog「道中道楽」、
おかげさまでコンスタントに結構な人数の人に読んで貰えており、まことに有り難いことです。
一周年の感謝のご挨拶と言うことで。
m(__)m Thanks!
しかし食いモンのハナシが多いよねぇ(笑)。
開設して1ヶ月目ぐらいから
Googleなんかの検索に掛かり始めたのか
友人・知人以外の来訪者の方々が増え始めました。
Topページのカウンターは現在毎日3〜50人程ですが、
(土日がグッと少ないのはみんな会社から?(笑))
個別の記事をカウントするページビューだとその倍ぐらい、
検索から来られる方が半数ほど居られますから
あんまりイイカゲンなことも書けないな、と。
まぁそれはMixiみたいに閉鎖的な空間での日記と違って公開のBlogを書くことの責任でもあります。
大阪の古い料理屋の家に生まれたせいで
食いモンのハナシはそれなりに
味覚や食体験に自信も有りますので
まぁいいんですが、
タマにカタイ話とかで自分の意見も述べてますしね。
でもBlogというのは基本的に
個人の日記としての側面と、
個人個人が世の中のニュースやデキゴトをピックアップしてコメントするという一般人視点のジャーナリズムの側面も有ると。
Blogを書き始めてしばらくして出会った本に
Blogの「そもそも」の発生について
その両面有ったんだ、とか
そんなことが書いてあって、
「それでいいんだろうな」とか納得して、
あんまり重たく考えすぎず、
ただ一般的な気遣い程度で個人として書き綴ればいいや、と吹っ切れたものです。
スローブログ宣言!
最初の動機は、
友人の店を少し宣伝してやろう、
みたいな少々邪なものでしたが、
だんだんと個人的に楽しくなっていったんですよね。
Blogの主たる構成要素は、といえば文章と写真です。
もともと子供の頃から夏休みの読書感想文は楽しんで書いてましたし、
高校の時は卒業式用に、2年生で送辞を、3年生で答辞の原稿も作ったりと、
作文は好きな方でした。
でも、写真は一度は捨てた趣味でした。
高校の写真部の時、
たしかその時の府立高校の最初の卒業式となったとかでテレビカメラが入りました。
自分は写真部なので会場の体育館の2階から撮影していたのですが、
カメラのファインダー越しに見るという行為は、不思議と普段見えないことまで見えるんですよね。
その折、カメラが回りシネライトが向けられた瞬間に人々の表情が固まっていくことに気付きました。
「カメラを向ける」という行為が酷く暴力的に思えました。
自分自身、生後半年ぐらいから小学校ぐらいまでテレビやラジオの子役なんかもやっていて「撮られる側」の経験も随分とあり、人より鈍感だったのかも知れませんが、改めて「撮られることの痛み」のようなものに向き合わされ、結構愕然とした思いでした。
その後も写真部を続けては居ましたが、
ストロボやフラッシュを焚くことをやめてしまいました。
「ありのままを写さなければ写真としてウソだ」と。
それは「暗いなら暗いなりに」というような光として見えている明るさかどうかだけでなく、
被写体としても構えることのない自然な姿が写せなければ駄目だ、ということです。
「撮られたくない」と思って緊張している姿もウソなら
「撮られたい」と思って作った表情もウソだと。
かなり考え込んで、考えすぎて、それでも乗り越えようとしました。
おかげで
スローシャッターでも手ブレを起こさない限界が1/4とか1/2とかまで行きましたし、ファインダーを覗かずに手首の角度だけで被写体を狙えるような練習も随分と積みました。
でも何か引っ掛かったままで、あまり写真を撮ってて楽しくなくなりました。
大学時代、
武術家に弟子入りしたおかげで
テレビや雑誌などの取材に
毎週のようにお供して
演者、あるいは「やられ役」として、
再び
「撮られる側」を経験する時期がありました。
撮影スタジオの真っ白な空間に初めて立たされた時、何故だか足が震えて止まりませんでした。
(師匠の一言二言で事なきを得ましたが)
何だかトラウマにでもなっていたようです。
それでも友人の披露宴の撮影も当然のように頼まれますし、
旅行などに行けば写真も撮っていました。
ところが風景を撮っても人物を撮っても
「写し切れていない」
という思いが昔より一層強くなってしまっていました。
武術をやっていることで五官が鋭敏になっていたからだと思います。
視覚のみならず、
聴覚、嗅覚、皮膚感覚、第六感、
何だか判らないけれど
「今自分の感じていることが写真に納まりきらない」ことに苦しくなりました。
また
ファインダーを覗くと言う行為は、
全身の感覚が視覚に集中するものですから、
逆に、
写真を撮ることで
「せっかくの目の前の何かを感じきれない」
という悩みも生じました。
で、一眼レフを手にすることはほとんど無くなりました。
それから10年以上経ちました。
いつの間にか携帯にカメラが付きました。
相変わらず友人の披露宴では写真係をやります。
何だか少しトラウマは薄れたかも知れません。
一度は捨てた写真へのコダワリが携帯カメラでスナップ写真撮ってるウチに戻って来て・・・
やっぱりそれなりに好きなのですね、時間と空間を切り取れる「撮る」という行為が。
いつのまにやら写真だらけのBlogになってます。
親父が絵描きでしたし
最初のカメラは5歳から、
一眼レフは12歳から持たされて高校時代は写真部の部長、
そんな血が少しずつ騒いでたりもするようです。
でも
未だに、ストロボなどは焚きたく無いですし、
できるだけ人にカメラを向けたくは無い自分が居ます。
目立たずアッサリ写真を撮りたいので一眼レフはまだ手に出来ないと思います。
「そのまんま」が大事に思うので少々ピントが甘くてもブレてても掲載することもあります。
写真1枚で「語りきれない」という思いのおかげで、長々とした文章と共に写真も「組み写真」になってしまうことが多いです。
ホント、
重たいページでスンマセン(笑)
m(__)m Sorry!
そんな文章と写真のBlogを今後も続けていくつもりです。
何よりも未だに好奇心旺盛な方で、
Blogなどなくても
できるだけ昨日と違う店に入って食事をし
年間10都道府県以上は旅行をし
習ったり体験したりも大好きで
関連する本を読み、何かを考え、
人のBlogやBBSに何か書き込んだり
誰かに議論を吹っ掛けたりするような奴です。
一つはそうした経験を忘れ去ってしまうのが自分でもモッタイナイ。
思い出したり再び追究したりする手掛かりぐらいは残したい。
過去の旅行の記録なども本棚から出て来たときにここに記録したりしています。
(このLivedoorのblogは1970年まで遡った記事を書けますので)
もう一つは、アチコチに長かったり堅苦しかったりの文章を書き散らして迷惑を掛けるぐらいなら、自分のHPとしてのBlogで多少は責任持ってまとめておこう、ということです。
だから今後も堅苦しいこともグルメの記録も同じように書き綴ると思います。
自分にとっては何も違う訳では有りませんから。
今後とも宜しくお願い致します。
m(__)m Please!
おかげさまでコンスタントに結構な人数の人に読んで貰えており、まことに有り難いことです。
一周年の感謝のご挨拶と言うことで。
m(__)m Thanks!
しかし食いモンのハナシが多いよねぇ(笑)。
開設して1ヶ月目ぐらいから
Googleなんかの検索に掛かり始めたのか
友人・知人以外の来訪者の方々が増え始めました。
Topページのカウンターは現在毎日3〜50人程ですが、
(土日がグッと少ないのはみんな会社から?(笑))
個別の記事をカウントするページビューだとその倍ぐらい、
検索から来られる方が半数ほど居られますから
あんまりイイカゲンなことも書けないな、と。
まぁそれはMixiみたいに閉鎖的な空間での日記と違って公開のBlogを書くことの責任でもあります。
大阪の古い料理屋の家に生まれたせいで
食いモンのハナシはそれなりに
味覚や食体験に自信も有りますので
まぁいいんですが、
タマにカタイ話とかで自分の意見も述べてますしね。
でもBlogというのは基本的に
個人の日記としての側面と、
個人個人が世の中のニュースやデキゴトをピックアップしてコメントするという一般人視点のジャーナリズムの側面も有ると。
Blogを書き始めてしばらくして出会った本に
Blogの「そもそも」の発生について
その両面有ったんだ、とか
そんなことが書いてあって、
「それでいいんだろうな」とか納得して、
あんまり重たく考えすぎず、
ただ一般的な気遣い程度で個人として書き綴ればいいや、と吹っ切れたものです。
スローブログ宣言!
最初の動機は、
友人の店を少し宣伝してやろう、
みたいな少々邪なものでしたが、
だんだんと個人的に楽しくなっていったんですよね。
Blogの主たる構成要素は、といえば文章と写真です。
もともと子供の頃から夏休みの読書感想文は楽しんで書いてましたし、
高校の時は卒業式用に、2年生で送辞を、3年生で答辞の原稿も作ったりと、
作文は好きな方でした。
でも、写真は一度は捨てた趣味でした。
高校の写真部の時、
たしかその時の府立高校の最初の卒業式となったとかでテレビカメラが入りました。
自分は写真部なので会場の体育館の2階から撮影していたのですが、
カメラのファインダー越しに見るという行為は、不思議と普段見えないことまで見えるんですよね。
その折、カメラが回りシネライトが向けられた瞬間に人々の表情が固まっていくことに気付きました。
「カメラを向ける」という行為が酷く暴力的に思えました。
自分自身、生後半年ぐらいから小学校ぐらいまでテレビやラジオの子役なんかもやっていて「撮られる側」の経験も随分とあり、人より鈍感だったのかも知れませんが、改めて「撮られることの痛み」のようなものに向き合わされ、結構愕然とした思いでした。
その後も写真部を続けては居ましたが、
ストロボやフラッシュを焚くことをやめてしまいました。
「ありのままを写さなければ写真としてウソだ」と。
それは「暗いなら暗いなりに」というような光として見えている明るさかどうかだけでなく、
被写体としても構えることのない自然な姿が写せなければ駄目だ、ということです。
「撮られたくない」と思って緊張している姿もウソなら
「撮られたい」と思って作った表情もウソだと。
かなり考え込んで、考えすぎて、それでも乗り越えようとしました。
おかげで
スローシャッターでも手ブレを起こさない限界が1/4とか1/2とかまで行きましたし、ファインダーを覗かずに手首の角度だけで被写体を狙えるような練習も随分と積みました。
でも何か引っ掛かったままで、あまり写真を撮ってて楽しくなくなりました。
大学時代、
武術家に弟子入りしたおかげで
テレビや雑誌などの取材に
毎週のようにお供して
演者、あるいは「やられ役」として、
再び
「撮られる側」を経験する時期がありました。
撮影スタジオの真っ白な空間に初めて立たされた時、何故だか足が震えて止まりませんでした。
(師匠の一言二言で事なきを得ましたが)
何だかトラウマにでもなっていたようです。
それでも友人の披露宴の撮影も当然のように頼まれますし、
旅行などに行けば写真も撮っていました。
ところが風景を撮っても人物を撮っても
「写し切れていない」
という思いが昔より一層強くなってしまっていました。
武術をやっていることで五官が鋭敏になっていたからだと思います。
視覚のみならず、
聴覚、嗅覚、皮膚感覚、第六感、
何だか判らないけれど
「今自分の感じていることが写真に納まりきらない」ことに苦しくなりました。
また
ファインダーを覗くと言う行為は、
全身の感覚が視覚に集中するものですから、
逆に、
写真を撮ることで
「せっかくの目の前の何かを感じきれない」
という悩みも生じました。
で、一眼レフを手にすることはほとんど無くなりました。
それから10年以上経ちました。
いつの間にか携帯にカメラが付きました。
相変わらず友人の披露宴では写真係をやります。
何だか少しトラウマは薄れたかも知れません。
一度は捨てた写真へのコダワリが携帯カメラでスナップ写真撮ってるウチに戻って来て・・・
やっぱりそれなりに好きなのですね、時間と空間を切り取れる「撮る」という行為が。
いつのまにやら写真だらけのBlogになってます。
親父が絵描きでしたし
最初のカメラは5歳から、
一眼レフは12歳から持たされて高校時代は写真部の部長、
そんな血が少しずつ騒いでたりもするようです。
でも
未だに、ストロボなどは焚きたく無いですし、
できるだけ人にカメラを向けたくは無い自分が居ます。
目立たずアッサリ写真を撮りたいので一眼レフはまだ手に出来ないと思います。
「そのまんま」が大事に思うので少々ピントが甘くてもブレてても掲載することもあります。
写真1枚で「語りきれない」という思いのおかげで、長々とした文章と共に写真も「組み写真」になってしまうことが多いです。
ホント、
重たいページでスンマセン(笑)
m(__)m Sorry!
そんな文章と写真のBlogを今後も続けていくつもりです。
何よりも未だに好奇心旺盛な方で、
Blogなどなくても
できるだけ昨日と違う店に入って食事をし
年間10都道府県以上は旅行をし
習ったり体験したりも大好きで
関連する本を読み、何かを考え、
人のBlogやBBSに何か書き込んだり
誰かに議論を吹っ掛けたりするような奴です。
一つはそうした経験を忘れ去ってしまうのが自分でもモッタイナイ。
思い出したり再び追究したりする手掛かりぐらいは残したい。
過去の旅行の記録なども本棚から出て来たときにここに記録したりしています。
(このLivedoorのblogは1970年まで遡った記事を書けますので)
もう一つは、アチコチに長かったり堅苦しかったりの文章を書き散らして迷惑を掛けるぐらいなら、自分のHPとしてのBlogで多少は責任持ってまとめておこう、ということです。
だから今後も堅苦しいこともグルメの記録も同じように書き綴ると思います。
自分にとっては何も違う訳では有りませんから。
今後とも宜しくお願い致します。
m(__)m Please!