2007年08月27日
【映】オータム・イン・ニューヨーク
中身など何も知らずにお台場映画王の企画で「高島彩が選ぶハリウッド映画」の「恋愛モノ」で「HEROモノ」という以上は判らず、まぁアヤパンに釣られて見る「羽目に」(笑)。
オータム・イン・ニューヨーク
オータム・イン・ニューヨーク スペシャル・エディション

オータム・イン・ニューヨーク(2000) - goo 映画
(以下ネタバレしますので、ご注意を)
美しい素直な心で見ると純愛モノなんでしょうか?
でもまぁ企画の趣旨というモノも有ったせいか、あまり素直な気持ちでは見れていません。
ツッコミ処満載の映画です。
ただツッコミ続けて見ている内に、
「あんた素直にモノを見れないか?」
なんてツッコミ返されてるような気分にはさせられます。
それは秋のニューヨークを描写した映像美と、ウィノナ・ライダーの無邪気な笑顔に依るモノだと思われ、決してストーリーやリチャード・ギアに納得がいく気はしません。
ストーリー、要は、元来全てに横暴気味、特に下半身に節操の無い独身中年(48歳)の実業家=リチャード・ギアが、純粋無垢で美しい女の子(22歳)=ウィノナ・ライダーと出会います。
彼女は過去に気を惹いただけで(身持ちが堅かったためなのか)捨てた(その後彼女は別に結婚してかの娘を設けて事故死した)女性の娘で、事情を知る祖母の存在がなかなかイイ味の伏線になってはいます。
男は娘を騙してキッカケを作って抱いてしまいます。でも男は珍しくマジになってしまいました。しかし娘は重い心臓病で余命幾ばくも無い身でした。
それをお互い判っていながらマジで恋愛し、SEXし、といった日常が続く中で、男は何か不満足だったのか単にケモノだったのか、昔の女とSEXしてしまいます。しかも娘に疑われると結構素直に白状してしまって、それが元で別れてしまう。
でも男は娘を忘れられず、日本的に言えば「土下座モノ」で謝ってヨリを戻します。それでまた付き合っていく内に、いよいよ心臓病で倒れて、一か八かの大手術、さぁ彼女は助かるのか、死ぬのか。。。
ここでハナシが終わったらまるで有名なリドル・ストーリー「女か虎か」ですが。
彼女は死んでしまい、男は涙する、ハリウッドには珍しいバッドエンドな作品です。
ラストシーンは別の伏線から、男は良きオジィチャンになった姿。
さぁここまで来て「腑に落ちる」かと。
あれだけ遊びまくってたヒドイ奴が一度の純愛で更生して「イイヒト」になれるのか、と。娘が死んでしばらくしたらまた元のプレイボーイに戻るのが関の山じゃないのか、と。
リチャード・ギアが演ずるところの男があまりにもダメ過ぎる、ってのがアヤパンの第一声、あんな金持ちのプレイボーイが主人公じゃ観客が感情移入できない、ってのが大多さん(脚本家)の結論、みたいな感じで、まぁ企画の趣旨がそうだから当然なんだけどみんなで袋だたき(笑)。
さて自分自身で考えてみても、やっぱり感情移入は出来ないけど、結構イイトシしてから若いのと仲良くなるので多少は判る部分も有るんですよね、「よし。これから心入れ替えよう!」みたいな瞬間ってのは(笑)。ただまぁあんなに節操なくなる根性も能力も魅力も無いなぁとは思う。
作った人は「ダメ男」を非難する映画として、その共感を求める映画を描いてるのだろうか、と思うと、少し引っ掛かる部分が有るんです。
まず、娘の母親とは肉体関係は無かったと祖母に明言させてまで居て、いわゆる「親子ドンブリ」にはなっていません。「それほどの鬼畜ではない」という演出をしているということですから、観客がリチャード・ギアの心情的味方になるよう誘導しているフシがある。
また昔捨てた女に産ませた娘との再会の部分について見ても、最初のシーンで観客は「また浮気してる」って思わせられて非難囂々な気分なんだけど、後に娘だと判る、そしてそれこそまた「土下座モノ」で娘に謝って自らの「純愛(?)」の協力者にしてしまう。そこでも一度リチャード・ギアへの不満が浄化されてしまうので、結局はリチャード・ギアへの感情移入を誘導しているらしい。(成功しているとは言い難い気がしますが)
そしてその鍵になってるのはリチャード・ギアがたびたび流す「男の涙」なんですが、、、そんなもんで許して良いのか!?って(笑)。
そういうツッコミ入れたくなりますね、結局。
いわば日本の演歌の逆パターン。
やしきたかじんの名曲、「泣いてもいいか」の世界ですな。
TAKAJIN SINGLE COLLECTION
この作品、自分としては常々のポリシーどおり「ゴメンで済ますんじゃねぇよ」って気分ですけど(笑)、
遊び人の男が純粋無垢な女(娘)の心に触れ、「命」(生と死)に触れることで涙を流して魂が浄化されて、なんてのを信じれる人には「素晴らしいラブストーリー」なのかな?
でも作品としても、すっかり毒気の抜けた「善良な人」になるところまでは責任持ってないような感じ。とりあえず孫を抱いているオジイチャンとしては善良な笑顔なんだけど。
最初に男が娘に出会うシーンでは娘が独りでボートに乗っているのを男は橋の上から見ている、最後に、かの娘は死んだ後で男が自分の孫を抱くシーンもまたボートの上、今度は男は孫や娘と一緒にボートに乗っている。この連結は変化を表しているのか、それとも循環を表しているのか。
この後
「あの男は善良な真人間になれたでしょうか?
それともスケベオヤジに逆戻りしたでしょうか?」
この作品、もしかしてリドルストーリーなのか?(笑)
果たして「檻から出て来たのは、女か虎か?」
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謎の物語



オータム・イン・ニューヨーク(2000) - goo 映画
(以下ネタバレしますので、ご注意を)
美しい素直な心で見ると純愛モノなんでしょうか?
でもまぁ企画の趣旨というモノも有ったせいか、あまり素直な気持ちでは見れていません。
ツッコミ処満載の映画です。
ただツッコミ続けて見ている内に、
「あんた素直にモノを見れないか?」
なんてツッコミ返されてるような気分にはさせられます。
それは秋のニューヨークを描写した映像美と、ウィノナ・ライダーの無邪気な笑顔に依るモノだと思われ、決してストーリーやリチャード・ギアに納得がいく気はしません。
ストーリー、要は、元来全てに横暴気味、特に下半身に節操の無い独身中年(48歳)の実業家=リチャード・ギアが、純粋無垢で美しい女の子(22歳)=ウィノナ・ライダーと出会います。
彼女は過去に気を惹いただけで(身持ちが堅かったためなのか)捨てた(その後彼女は別に結婚してかの娘を設けて事故死した)女性の娘で、事情を知る祖母の存在がなかなかイイ味の伏線になってはいます。
男は娘を騙してキッカケを作って抱いてしまいます。でも男は珍しくマジになってしまいました。しかし娘は重い心臓病で余命幾ばくも無い身でした。
それをお互い判っていながらマジで恋愛し、SEXし、といった日常が続く中で、男は何か不満足だったのか単にケモノだったのか、昔の女とSEXしてしまいます。しかも娘に疑われると結構素直に白状してしまって、それが元で別れてしまう。
でも男は娘を忘れられず、日本的に言えば「土下座モノ」で謝ってヨリを戻します。それでまた付き合っていく内に、いよいよ心臓病で倒れて、一か八かの大手術、さぁ彼女は助かるのか、死ぬのか。。。
ここでハナシが終わったらまるで有名なリドル・ストーリー「女か虎か」ですが。
彼女は死んでしまい、男は涙する、ハリウッドには珍しいバッドエンドな作品です。
ラストシーンは別の伏線から、男は良きオジィチャンになった姿。
さぁここまで来て「腑に落ちる」かと。
あれだけ遊びまくってたヒドイ奴が一度の純愛で更生して「イイヒト」になれるのか、と。娘が死んでしばらくしたらまた元のプレイボーイに戻るのが関の山じゃないのか、と。
リチャード・ギアが演ずるところの男があまりにもダメ過ぎる、ってのがアヤパンの第一声、あんな金持ちのプレイボーイが主人公じゃ観客が感情移入できない、ってのが大多さん(脚本家)の結論、みたいな感じで、まぁ企画の趣旨がそうだから当然なんだけどみんなで袋だたき(笑)。
さて自分自身で考えてみても、やっぱり感情移入は出来ないけど、結構イイトシしてから若いのと仲良くなるので多少は判る部分も有るんですよね、「よし。これから心入れ替えよう!」みたいな瞬間ってのは(笑)。ただまぁあんなに節操なくなる根性も能力も魅力も無いなぁとは思う。
作った人は「ダメ男」を非難する映画として、その共感を求める映画を描いてるのだろうか、と思うと、少し引っ掛かる部分が有るんです。
まず、娘の母親とは肉体関係は無かったと祖母に明言させてまで居て、いわゆる「親子ドンブリ」にはなっていません。「それほどの鬼畜ではない」という演出をしているということですから、観客がリチャード・ギアの心情的味方になるよう誘導しているフシがある。
また昔捨てた女に産ませた娘との再会の部分について見ても、最初のシーンで観客は「また浮気してる」って思わせられて非難囂々な気分なんだけど、後に娘だと判る、そしてそれこそまた「土下座モノ」で娘に謝って自らの「純愛(?)」の協力者にしてしまう。そこでも一度リチャード・ギアへの不満が浄化されてしまうので、結局はリチャード・ギアへの感情移入を誘導しているらしい。(成功しているとは言い難い気がしますが)
そしてその鍵になってるのはリチャード・ギアがたびたび流す「男の涙」なんですが、、、そんなもんで許して良いのか!?って(笑)。
そういうツッコミ入れたくなりますね、結局。
いわば日本の演歌の逆パターン。
やしきたかじんの名曲、「泣いてもいいか」の世界ですな。

この作品、自分としては常々のポリシーどおり「ゴメンで済ますんじゃねぇよ」って気分ですけど(笑)、
遊び人の男が純粋無垢な女(娘)の心に触れ、「命」(生と死)に触れることで涙を流して魂が浄化されて、なんてのを信じれる人には「素晴らしいラブストーリー」なのかな?
でも作品としても、すっかり毒気の抜けた「善良な人」になるところまでは責任持ってないような感じ。とりあえず孫を抱いているオジイチャンとしては善良な笑顔なんだけど。
最初に男が娘に出会うシーンでは娘が独りでボートに乗っているのを男は橋の上から見ている、最後に、かの娘は死んだ後で男が自分の孫を抱くシーンもまたボートの上、今度は男は孫や娘と一緒にボートに乗っている。この連結は変化を表しているのか、それとも循環を表しているのか。
この後
「あの男は善良な真人間になれたでしょうか?
それともスケベオヤジに逆戻りしたでしょうか?」
この作品、もしかしてリドルストーリーなのか?(笑)
果たして「檻から出て来たのは、女か虎か?」
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謎の物語
★お台場冒険王2007★
01.【楽】お台場の「冒険王」2007へ
02.【食】スマイルカフェ(TV Connection Cafe)
03.【映】オータム・イン・ニューヨーク
04.【楽】高島彩アナが選ぶ!!の巻
05.【楽】少林寺伝説(冒険王2日目)
06.【食】スマイルカフェ再訪
07.【茶】The_W_cafe(東京・台場)
08.【映】トゥルーライズ
09.【楽】中野美奈子アナが選ぶ!!の巻
10.【嬉】戦利品Get!!