2008年08月22日
【映】ギルバート・グレイプ(お台場映画王)
今年の「お台場映画王」のテーマは「映画は、生きることの全てを教えてくれる」。
今日は「中野美奈子アナ」がそのテーマに沿ってチョイスした作品の回。
ということで選ばれたのが
ギルバート・グレイプ
・ギルバート・グレイプ - goo 映画
何だか一昔前の単館上映系のフランス映画みたいな印象を受けたんだけど、素材の問題もあって、全体的に暗い感じはある。
それを救ってるのはアメリカの田舎独特の明るい開放感、美しい自然描写。
その田舎町から一歩も外に出ないのだけど、旅人が訪れたことで起きる日常のさざ波、大波を描くという意味では、ロードムービーの裏返しという気もする。
基本的には淡々とした日常の描写で終始している。
自分はそれ程に優しい人間にはなれないだろうと思う。この映画を見た素直な感想というのはそんな感じだ。
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(ここからネタバレ有りです)
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予備知識皆無で見た訳で「どんな映画なのか」もさっぱり判らずスタート。
田舎道。兄弟が何かが来るのを待ってる。弟の方が少し「頭が弱いのかな」の判る会話。
砂埃を揚げてキャンピングカーの群れが到来。そういえばアメリカの夏の風景として夏のバカンスの間だけ田舎町にキャンピングカーで暮らすようなのがあったはずだと思い出す。
街の風景をバックに兄のモノローグが続く。
主人公はこの兄らしい。ジョニー・デップ。
映画は日常風景。若者同士の下らない会話。家族内の下らないケンカ。
この街を覆うのは「退屈という病」だと感じる。
「小人閑居して不善を為す」。退屈をしていると人は得てして下らないことをする。
最初から大人と小人が居るのではなく、踏み外した者が小人となるだけ。ある種のチキンレース。
どっちかというとこの手の映画は苦手。退屈を知らない方なのでテンションの低い登場人物に共感出来ないからだけど。
まぁその中でも幾つか物語の鍵が動き出す。
物語の鍵は最大の鍵は弟。レオナルド・ディカプリオ。病名も原因も明らかにされることはないが、どうやら発達障害児という描き方に見える。身体は鉄塔によじ登れる程に健康だが、関心対象が狭く、感情は幼児的で「やりたいことしかしたくない」。ときに発作的。受け取る人によっては無邪気な笑顔と映るかも知れないが、一般的には社会に不適合で敬遠される存在でしかない。
こういうキャラクターは接する登場人物にも見ている人にも「やさしさ」を試してくるところがある。登場する家族の中での温度差が物語の伏線になってる。
いずれにせよ自分はそれ程にはやさしくなれないな、と思った。
2つ目の鍵はやはり心の病の一つの過食肥満の母親、そして死んだ父親の影。この母親が、かの弟に最大の愛情を注ぎ続ける。この母親もまた社会に拒絶される存在であるけれど、家族は母を大事にし、家庭は母を中心に回っているようにも見える。その裏側には死んだ父親の影がずっと横たわっているような感じ。
この映画の最初の方と最後の方の2箇所に、主人公が父親に似てきたと言われるシーンがあったのが結構印象的だった。
3つ目の鍵はヒロインの女の子、夏の間だけ登場したはずの異邦人。少しアブナイ感じで、ワリとクセの強い無邪気な女の子って好きなので(笑)、まぁそこは少しだけ興味持って鑑賞出来たと思うけど。。。
ストーリーは全編大した意外性も無く終わる。「やるだろうな」はやるし、「壊すだろうな」は壊すし、「死ぬだろうな」は死ぬし、「燃やすだろうな」は燃やしちゃう、みたいな感じで、先読みしつつ見てしまうとほぼ全ての展開は予想通り。定着者と異邦人の出会いによって起きるさざ波、ちょっとした事件、心の動き。
でも結局は同じ日常。ちょっと変わっただけ。
前述したが、やっぱりこれもロードムービーの一つのスタイルだと思う。
見終わって「ああなるほど」。理屈で考えると「そうだよな」な結末。
それでも最後に少し心に残るものがある。
「家族愛」という評も見るけど、それは一部でしか無いと思う。
とにかくこの兄は男から見ても大きな奴だと思います。日本映画で言うと高倉健のやるような「(損得という目で見れば)損するのは自分だけでいい」「俺はこれでいい」というような行動を結局黙ってやり抜いてる。この映画でのモノゴトそのものは大したハナシでは無いけれど。
女の子から見ると憧れの包容力なのかもね。
「優しいとは何かをすることではなくて、あるがままに受け入れること」
という耳触りの良いテーゼは有るけど、現実の場合、大抵はもっと「クレバーな選択」をしないと怒られますよね(笑)。
この映画の兄は、明らかに都会で生きていくのに不向きな弟ゆえに「クレバーな選択」ができないから物語としては絵空事にはなってない。むしろ「何か」が突きつけられ、「やさしさ」が問われてる。
きっと頭で考えて見てると重たく感じ、素直に見てると温かく感じるのかもとも思う。
役者の演技も良いし、あらためて思い返してみると良い映画だと思います。
忘れた頃にまた見るのもいいね。そのとき自分がどう感じるか。
今日は「中野美奈子アナ」がそのテーマに沿ってチョイスした作品の回。
ということで選ばれたのが
ギルバート・グレイプ
・ギルバート・グレイプ - goo 映画
監督:ラッセ・ハルストレム
収録時間:117分
レンタル開始日:2002-01-25
Story
アメリカ中西部の田舎町を舞台に、よろずやの店員がトレーラーハウスで祖母と旅を続ける少女と出会い、自己の生活を見つめ直していく姿を描く。白痴少年役をディカプリオが名演、心打たれる感動作に仕上がっている。監督はラッセ・ハルストレム。(詳細こちら)
何だか一昔前の単館上映系のフランス映画みたいな印象を受けたんだけど、素材の問題もあって、全体的に暗い感じはある。
それを救ってるのはアメリカの田舎独特の明るい開放感、美しい自然描写。
その田舎町から一歩も外に出ないのだけど、旅人が訪れたことで起きる日常のさざ波、大波を描くという意味では、ロードムービーの裏返しという気もする。
基本的には淡々とした日常の描写で終始している。
自分はそれ程に優しい人間にはなれないだろうと思う。この映画を見た素直な感想というのはそんな感じだ。
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(ここからネタバレ有りです)
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予備知識皆無で見た訳で「どんな映画なのか」もさっぱり判らずスタート。
田舎道。兄弟が何かが来るのを待ってる。弟の方が少し「頭が弱いのかな」の判る会話。
砂埃を揚げてキャンピングカーの群れが到来。そういえばアメリカの夏の風景として夏のバカンスの間だけ田舎町にキャンピングカーで暮らすようなのがあったはずだと思い出す。
街の風景をバックに兄のモノローグが続く。
主人公はこの兄らしい。ジョニー・デップ。
映画は日常風景。若者同士の下らない会話。家族内の下らないケンカ。
この街を覆うのは「退屈という病」だと感じる。
「小人閑居して不善を為す」。退屈をしていると人は得てして下らないことをする。
最初から大人と小人が居るのではなく、踏み外した者が小人となるだけ。ある種のチキンレース。
どっちかというとこの手の映画は苦手。退屈を知らない方なのでテンションの低い登場人物に共感出来ないからだけど。
まぁその中でも幾つか物語の鍵が動き出す。
物語の鍵は最大の鍵は弟。レオナルド・ディカプリオ。病名も原因も明らかにされることはないが、どうやら発達障害児という描き方に見える。身体は鉄塔によじ登れる程に健康だが、関心対象が狭く、感情は幼児的で「やりたいことしかしたくない」。ときに発作的。受け取る人によっては無邪気な笑顔と映るかも知れないが、一般的には社会に不適合で敬遠される存在でしかない。
こういうキャラクターは接する登場人物にも見ている人にも「やさしさ」を試してくるところがある。登場する家族の中での温度差が物語の伏線になってる。
いずれにせよ自分はそれ程にはやさしくなれないな、と思った。
2つ目の鍵はやはり心の病の一つの過食肥満の母親、そして死んだ父親の影。この母親が、かの弟に最大の愛情を注ぎ続ける。この母親もまた社会に拒絶される存在であるけれど、家族は母を大事にし、家庭は母を中心に回っているようにも見える。その裏側には死んだ父親の影がずっと横たわっているような感じ。
この映画の最初の方と最後の方の2箇所に、主人公が父親に似てきたと言われるシーンがあったのが結構印象的だった。
3つ目の鍵はヒロインの女の子、夏の間だけ登場したはずの異邦人。少しアブナイ感じで、ワリとクセの強い無邪気な女の子って好きなので(笑)、まぁそこは少しだけ興味持って鑑賞出来たと思うけど。。。
ストーリーは全編大した意外性も無く終わる。「やるだろうな」はやるし、「壊すだろうな」は壊すし、「死ぬだろうな」は死ぬし、「燃やすだろうな」は燃やしちゃう、みたいな感じで、先読みしつつ見てしまうとほぼ全ての展開は予想通り。定着者と異邦人の出会いによって起きるさざ波、ちょっとした事件、心の動き。
でも結局は同じ日常。ちょっと変わっただけ。
前述したが、やっぱりこれもロードムービーの一つのスタイルだと思う。
見終わって「ああなるほど」。理屈で考えると「そうだよな」な結末。
それでも最後に少し心に残るものがある。
「家族愛」という評も見るけど、それは一部でしか無いと思う。
とにかくこの兄は男から見ても大きな奴だと思います。日本映画で言うと高倉健のやるような「(損得という目で見れば)損するのは自分だけでいい」「俺はこれでいい」というような行動を結局黙ってやり抜いてる。この映画でのモノゴトそのものは大したハナシでは無いけれど。
女の子から見ると憧れの包容力なのかもね。
「優しいとは何かをすることではなくて、あるがままに受け入れること」
という耳触りの良いテーゼは有るけど、現実の場合、大抵はもっと「クレバーな選択」をしないと怒られますよね(笑)。
この映画の兄は、明らかに都会で生きていくのに不向きな弟ゆえに「クレバーな選択」ができないから物語としては絵空事にはなってない。むしろ「何か」が突きつけられ、「やさしさ」が問われてる。
きっと頭で考えて見てると重たく感じ、素直に見てると温かく感じるのかもとも思う。
役者の演技も良いし、あらためて思い返してみると良い映画だと思います。
忘れた頃にまた見るのもいいね。そのとき自分がどう感じるか。
☆お台場冒険王2008ファイナル☆
ruminn_master at 2008年08月22日 21:25 【映】ギルバート・グレイプ(お台場映画王)│コメント(0)│トラックバック(0)
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