2008年08月24日
【思】今日から4年目
3年前の昨日から始まりましたこのBlog「道中道楽」、今日から4年目に突入です。
読んで下さっている皆様、まことに有り難う御座います。
m(__)m Thanks!
まぁ適正なペースで読んで下さる人の数も増えており、まぁネットのゴミ撒き師にもエサ撒き師にもならずに済んでるかなとの矜持で、自分なりに楽しんでおります。
1周年のご挨拶では写真というモノへの思いを書いてました。
2周年のご挨拶では、当時の雑感つらつらと、ですね。朝青龍問題から入って、「お客」に対する態度一般のハナシをして、人間の幼児性のハナシに拡がって、また朝青龍に戻り、サルよりマシな人間で在るための日常でありたいと締めくくってます。
自分ではグルメサイトの端くれのつもりで始めたBlog、もちろん店名や商品名の検索による来訪者が圧倒的多数ですが、検索実績を見ると次に多いのは「上々颱風」関係ワード、「めざましテレビ」関係ワードです。
たしかに「その手」のイベントに行くことも多いので「やっぱりな」「まぁそんなもんか」ですが、歌舞伎や落語なども結構有るのに、そういうのではあまり検索に掛かってません。このあたりは客層とネットユーザーとの乖離もあるでしょう。またキッチリとした情報がキッチリとした形(定評有る出版物や公式サイトによる必要十分な情報提供、関係商品の充実など)で世に提供されていますから、興味を持った人への受け入れ態勢が整っている分、ネット上を彷徨う羽目には陥らずに済むのかもとも思います。
自己記事インデックス作成作業も中座してます。既に投稿記事は1000件を越えているので自分で探すにも一苦労、個人的にも必要性は感じるのですが、まぁ有りがたいことに、たいていの場合、適当な検索キーワードに「道中道楽」を付け加えると自分の過去記事を発見出来るので後回し気味に放置してます。
Livedoor側の仕様変更が有って写真のアップロードに手間取るなどブログの作成作業自体の負担が増え、下書きで留めたままの旅行記などが数件溜まってしまってるのも気になってます。
セキュリティソフトが融通が利かず重たくなってローカルの作業環境も悪くなったなぁというのもあります。(次の更新時期にはシマンテックじゃなくてトレンドマイクロに戻そうか、それとも第3のセキュリティソフトを探そうかと思ってます)
最近は写真を掲載用に加工処理、整理した後、エディターで文章部分をまとめ、その後はFirefoxに、アドオンのScribeFireを入れ( アップロード機能は日本のBlogサービスには対応してないので使えないけど、装飾やリンク作成、などとても重宝 )、MakeLinkとmozImageも入れて結構快適に書けるようになりました。Firefox自体、バックアップ機能を持つので記事の最終作成作業中にパソコンが飛んでも復元出来たりしてIE下でフリーソフトの 簡単ウェブログ投稿アシストで行っていた機能はほぼカバー出来るようになりました( このソフトはIEエンジンを使っているので、セキュリティソフトとIEの相性がそのまま反映してしまうためフリーズが増え使いにくくなりました )。
まぁ、自分なりに続けてきましたし、今後も自分なりに少しずつ進めて行くと思います。
本来的な立ち位置、グルメサイトとしての「自分なり」としては・・・
グルメにA級もB級も有りません。300円のラーメンと3万円のコース料理に貴賤は無い、というのが自分なりのグルメサイトとしてのスタンス、ラーメンばっかりとか、高級料理ばっかりとか、それはそれで凄いけど、自分はそうじゃないんだと。どっちもそれなりに食べたことが無い立場というのは「食」を語るには足りないと思っています。
「食」というのは金持ちだろうが貧乏人だろうが生きてる限りは誰にでも関わることであり、味覚という感性は経済的貧富とは対応しません。経験上、値段と評判ばっかりで、料理自体に工夫の無い、丁寧さの欠けた店というのは少なくなく、それはマスコミが持て囃したり(有名人とマスコミの取材にだけ大サービスな店というのも有ります)、老舗の看板に甘えたりと、「味の判らない金持ち」が店を甘やかした結果だと思います。
船場吉兆の事件が好例でしょう。
どっちも同じように食べて、
「払った対価に見合うだけの満足を得たかどうか」
だけの問題だと思っています。
重視するのは味覚と接客態度、せいぜい店の清潔感ですね。床と壁に金を払う趣味はないので雰囲気とか立地は二の次。マスコミの評判は基本的に疑って掛かることにしていますが、店の主人の人柄が実直そうなら一応は期待します。
自分が逆に食情報を検索する場合を考えると、該当記事のあるブログなら、その記述者が、「普段何を食ってる人か」「どういう人か」というのは重要視する情報で、自分も行ったことのある店を記事にしていたら「どういう評価を下しているのか」で明確に相違点が分かりますし、日本中・世界中を旅行している人ならば食への柔軟性はあるかもと思うし(ジャンクフードだけで旅行する人も一杯居ますけど)、普段から和洋中いろいろ食ってる人の方がバランスの良い判断をできると思っています。
「○○の××しか食わない」とか豪語してる人がよく居ますが、自分には料理にしろ酒にしろ理解不能。
日本中何処に行っても、そこではそこなりに美味いモノも有るのが普通ですし、その土地の料理にあった酒も有るのが通常だからです。
「マズイモノを探して歩いてるのか?」と思えるぐらいに悪評ばっかり並べる人も居ますが、そんな生き方って楽しいかなぁ、と思ってしまう。
美味いモノを探すには、何処に行っても何を食べても「いいところ」を探すように努力しなきゃと思って居ます。
心持ち、気分、態度、そんなことで料理酒肴の美味い不味いは変わってしまいます。
どんなに旨い酒でも、気の合わない人物との酒席では味のしない駄酒となるでしょう。
何と言うことのない酒でも、気の合う仲間との酒席だったり、見事な芸術や風景に触れた後の豊かな気分で味わえば、どんな銘酒にも優ると思うのです。
だから、グルメサイトらしくない日常の記録も同じライン上にあると思っています。結局「こいつはどんな奴なんだ」を語ってることになるのでしょうか。
今日は北京五輪の閉幕の日。
色々書こうと思ったけど、誰もが言うようなことだと思うのでまぁ少しだけ。
人を作る仕組み、人を選ぶ仕組み、選ばれた人が次に人を作る側に回るという面もあるから、大きく「リクルートシステム」としますが、社会全体でそのリクルートシステムが当てにならなくなってる。
企業不祥事や不可解犯罪、少年問題・教育問題、または男女間の色恋沙汰やストーカー事件にしても、結局のところ「誰を信用すべきか」が間違ったままに修正不能、負のスパイラル、どこから手を着けて良いのか判らなくなってしまっている。
それが五輪という切り口で見えただけ、そんな気もします。
選ぶ方の仕組みにしても不明瞭なのもあれば、国際基準について行ってないのもある。
選ばれた方にしても、人を作る仕組み自体が昔のようなものでないから、人から当てにされたからといって頑張れるというものでもない。
そしてスポーツは既に公平でも公正でも無くなり、その失望がさらにリクルートシステムを蝕んでいく。
それでも「選ばれた」競技者は、その枠組みの中で自分なりに「頑張る」以外の方法を持たないのが通常。
競技者に責任はあるけど罪はない。
読んで下さっている皆様、まことに有り難う御座います。
m(__)m Thanks!
まぁ適正なペースで読んで下さる人の数も増えており、まぁネットのゴミ撒き師にもエサ撒き師にもならずに済んでるかなとの矜持で、自分なりに楽しんでおります。
1周年のご挨拶では写真というモノへの思いを書いてました。
2周年のご挨拶では、当時の雑感つらつらと、ですね。朝青龍問題から入って、「お客」に対する態度一般のハナシをして、人間の幼児性のハナシに拡がって、また朝青龍に戻り、サルよりマシな人間で在るための日常でありたいと締めくくってます。
【2周年のメッセージ】
開設して2年が過ぎました。
ここが「道中道楽」メインBlogです。
ここは「酒と食べ物」を柱として体験と思考を並べてあるサイトです。カテゴリーとしてはグルメサイトなんでしょうけど、性分で、たまに「ヤヤコシイコト」を書いたりもします。
ずいぶんと記事も増えたのに附属の検索機能は役に立たず、で、過去の記事を探すのが自分でも一苦労、索引を作ろうと作業中ですが、なかなか「コレ」といった方法が見つかりません。試行錯誤しながら整理しています。
3周年には間に合うかな。。。
まだいろいろ考えています。
2007年8月23日
自分ではグルメサイトの端くれのつもりで始めたBlog、もちろん店名や商品名の検索による来訪者が圧倒的多数ですが、検索実績を見ると次に多いのは「上々颱風」関係ワード、「めざましテレビ」関係ワードです。
たしかに「その手」のイベントに行くことも多いので「やっぱりな」「まぁそんなもんか」ですが、歌舞伎や落語なども結構有るのに、そういうのではあまり検索に掛かってません。このあたりは客層とネットユーザーとの乖離もあるでしょう。またキッチリとした情報がキッチリとした形(定評有る出版物や公式サイトによる必要十分な情報提供、関係商品の充実など)で世に提供されていますから、興味を持った人への受け入れ態勢が整っている分、ネット上を彷徨う羽目には陥らずに済むのかもとも思います。
自己記事インデックス作成作業も中座してます。既に投稿記事は1000件を越えているので自分で探すにも一苦労、個人的にも必要性は感じるのですが、まぁ有りがたいことに、たいていの場合、適当な検索キーワードに「道中道楽」を付け加えると自分の過去記事を発見出来るので後回し気味に放置してます。
Livedoor側の仕様変更が有って写真のアップロードに手間取るなどブログの作成作業自体の負担が増え、下書きで留めたままの旅行記などが数件溜まってしまってるのも気になってます。
セキュリティソフトが融通が利かず重たくなってローカルの作業環境も悪くなったなぁというのもあります。(次の更新時期にはシマンテックじゃなくてトレンドマイクロに戻そうか、それとも第3のセキュリティソフトを探そうかと思ってます)
最近は写真を掲載用に加工処理、整理した後、エディターで文章部分をまとめ、その後はFirefoxに、アドオンのScribeFireを入れ( アップロード機能は日本のBlogサービスには対応してないので使えないけど、装飾やリンク作成、などとても重宝 )、MakeLinkとmozImageも入れて結構快適に書けるようになりました。Firefox自体、バックアップ機能を持つので記事の最終作成作業中にパソコンが飛んでも復元出来たりしてIE下でフリーソフトの 簡単ウェブログ投稿アシストで行っていた機能はほぼカバー出来るようになりました( このソフトはIEエンジンを使っているので、セキュリティソフトとIEの相性がそのまま反映してしまうためフリーズが増え使いにくくなりました )。
まぁ、自分なりに続けてきましたし、今後も自分なりに少しずつ進めて行くと思います。
本来的な立ち位置、グルメサイトとしての「自分なり」としては・・・
グルメにA級もB級も有りません。300円のラーメンと3万円のコース料理に貴賤は無い、というのが自分なりのグルメサイトとしてのスタンス、ラーメンばっかりとか、高級料理ばっかりとか、それはそれで凄いけど、自分はそうじゃないんだと。どっちもそれなりに食べたことが無い立場というのは「食」を語るには足りないと思っています。
「食」というのは金持ちだろうが貧乏人だろうが生きてる限りは誰にでも関わることであり、味覚という感性は経済的貧富とは対応しません。経験上、値段と評判ばっかりで、料理自体に工夫の無い、丁寧さの欠けた店というのは少なくなく、それはマスコミが持て囃したり(有名人とマスコミの取材にだけ大サービスな店というのも有ります)、老舗の看板に甘えたりと、「味の判らない金持ち」が店を甘やかした結果だと思います。
船場吉兆の事件が好例でしょう。
どっちも同じように食べて、
「払った対価に見合うだけの満足を得たかどうか」
だけの問題だと思っています。
重視するのは味覚と接客態度、せいぜい店の清潔感ですね。床と壁に金を払う趣味はないので雰囲気とか立地は二の次。マスコミの評判は基本的に疑って掛かることにしていますが、店の主人の人柄が実直そうなら一応は期待します。
自分が逆に食情報を検索する場合を考えると、該当記事のあるブログなら、その記述者が、「普段何を食ってる人か」「どういう人か」というのは重要視する情報で、自分も行ったことのある店を記事にしていたら「どういう評価を下しているのか」で明確に相違点が分かりますし、日本中・世界中を旅行している人ならば食への柔軟性はあるかもと思うし(ジャンクフードだけで旅行する人も一杯居ますけど)、普段から和洋中いろいろ食ってる人の方がバランスの良い判断をできると思っています。
「○○の××しか食わない」とか豪語してる人がよく居ますが、自分には料理にしろ酒にしろ理解不能。
日本中何処に行っても、そこではそこなりに美味いモノも有るのが普通ですし、その土地の料理にあった酒も有るのが通常だからです。
「マズイモノを探して歩いてるのか?」と思えるぐらいに悪評ばっかり並べる人も居ますが、そんな生き方って楽しいかなぁ、と思ってしまう。
美味いモノを探すには、何処に行っても何を食べても「いいところ」を探すように努力しなきゃと思って居ます。
心持ち、気分、態度、そんなことで料理酒肴の美味い不味いは変わってしまいます。
どんなに旨い酒でも、気の合わない人物との酒席では味のしない駄酒となるでしょう。
何と言うことのない酒でも、気の合う仲間との酒席だったり、見事な芸術や風景に触れた後の豊かな気分で味わえば、どんな銘酒にも優ると思うのです。
だから、グルメサイトらしくない日常の記録も同じライン上にあると思っています。結局「こいつはどんな奴なんだ」を語ってることになるのでしょうか。
今日は北京五輪の閉幕の日。
色々書こうと思ったけど、誰もが言うようなことだと思うのでまぁ少しだけ。
人を作る仕組み、人を選ぶ仕組み、選ばれた人が次に人を作る側に回るという面もあるから、大きく「リクルートシステム」としますが、社会全体でそのリクルートシステムが当てにならなくなってる。
企業不祥事や不可解犯罪、少年問題・教育問題、または男女間の色恋沙汰やストーカー事件にしても、結局のところ「誰を信用すべきか」が間違ったままに修正不能、負のスパイラル、どこから手を着けて良いのか判らなくなってしまっている。
それが五輪という切り口で見えただけ、そんな気もします。
選ぶ方の仕組みにしても不明瞭なのもあれば、国際基準について行ってないのもある。
選ばれた方にしても、人を作る仕組み自体が昔のようなものでないから、人から当てにされたからといって頑張れるというものでもない。
そしてスポーツは既に公平でも公正でも無くなり、その失望がさらにリクルートシステムを蝕んでいく。
それでも「選ばれた」競技者は、その枠組みの中で自分なりに「頑張る」以外の方法を持たないのが通常。
競技者に責任はあるけど罪はない。