2009年06月27日

【歴】東京都内唯一の本陣跡(甲州道中10 日野宿) 3

日野宿は石田寺(土方歳三の墓)も予定地だったけど、時間の都合か次回に回したかで本陣だけ。

日野本陣跡00

「日野本陣」東京都日野市 −建築家・酒井哲のコラム
日野宿本陣跡・ふるさと博物館
日野市立新選組のふるさと歴史館HP

あまり時間がなかったので、解説ボランティアの人ももっと喋りたそうでした(笑)。

本陣跡の向かいは図書館ですが、その前に問屋場跡の碑がありました。

日野問屋場跡00

ここはもっと本陣跡でゆっくりしたかったかな。
[日野宿]

 日野宿は内藤新宿から7里26丁(30km余),東の府中宿へ2里,西の横山宿(現,八王子市)へ1里27丁48間で,府中宿,横山宿のほか脇往還岩槻道の小川新田(2里)への継立ても負担していた。町並みは幕末には9丁続いていた。1717年(享保2)の百姓家数は426軒,人数1735人で,馬数は183疋であった。宿の問屋は2人,馬指(うまさし)・定使(じようづかい)は2人である。職人が8人,商人が15人いたが,商人は酒,豆腐,わらじ,タバコなどを商い,甲州道中を通る旅行者相手の商業とみられるものが多い。多摩川の対岸柴崎村との間には甲州道中では数少ない渡船があった。日野宿で経営し,日野の渡と呼ばれたものである。この渡船は1824年(文政7)以前は毎年3月から10月までで,そのあと翌年3月までは土橋を架けて渡っていた。しかしこの年以後,渡船賃を3割増にするとともに,通年渡船で渡ることになった。27年に多摩川両岸にわたる47ヵ村で日野宿組合が結成されると,その中心である寄場になったが,これらの村のほとんどは経済的には八王子の市場圏に入り,日野は市が立つこともなく,宿場町で推移した。                   伊藤 好一

(c) 1998 Hitachi Digital Heibonsha, All rights reserved.


とりあえず今回の甲州道中の旅はここまで。

次回も参加できるかな。

ruminn_master at 2009年06月27日 16:15 【歴】東京都内唯一の本陣跡(甲州道中10 日野宿)コメント(0)トラックバック(0)  このエントリーをはてなブックマークに追加


旅(関東・甲信) | 旅行・観光のハナシ

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